丸の内に今も残る85年前の「建築美」を探訪 重要文化財・明治生命館を360度カメラで撮影

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マッカーサーが対日理事会に臨席した会議室(編集部撮影)

2階の会議室は、終戦後にこの建物が連合国軍に接収されていた時期に対日理事会の会場として使用されていた。最高司令官マッカーサーも出席した歴史遺産とも言える場だ。

昭和の建物として初めて重要文化財に

同じく2階にある応接室は、東京駅赤レンガ駅舎の改修中に、日本国に新たに赴任する各国大使の皇居での信任状奉呈式の控え室とされていた部屋。信任の大使は、東京駅前から馬車に乗り、行幸通りを経て皇居で天皇陛下に信任状を渡される。アメリカのキャロライン・ケネディ前大使もこの部屋から皇居に向かった。

キャロライン・ケネディ前大使も利用した応接室(撮影:梅谷秀司)

そしてこの建物では建築デザインばかりでなく、昭和初期における建物インフラ面でも最先端の設備が取り入れられていた。

暖房ばかりでなく冷房までの空調換気設備が完備し、室内の時計は電気時計で、マスター時計とつながり、館内ですべて同じ時刻を示す仕組みに。各部屋にあるつなぎ口にホースを接続して一元的にほこりを吸い込む清掃装置も備えられていた。

この明治生命館は1997(平成9)年に昭和の建物としては初めて国の重要文化財に指定されているが、この建物が現在の丸の内という経済的に価値の高い街に残ることができたのは「空中権」というマジックが働いたということがある。

昭和戦前のビルは最高でもほぼ8階、31メートル高まで。しかし近年は都市計画特区に指定されることで丸の内でも超高層建築が建てられるようになっている。そこで、歴史的建築を保存することで、本来建てることができる空中容積分を隣接するエリアなどに移転することが可能となり建物の耐震補強などの費用も捻出できるように。

そうして歴史的建物の保存と超高層化が進んだ。明治生命館も、隣接する土地に丸の内マイプラザという30階建てのオフィスビルを建設したことで保存が可能となった。

丸の内ではこの空中権手法で、東京駅赤レンガ駅舎、東京中央郵便局、日本工業俱楽部会館、明治生命館などが保存された。現在の丸の内は、それら歴史的建築が残ることによってより魅力的な街となったと多くの人が思っていることだろう。

鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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