以上のような歴史とストーリーのあるフランス文学者の家だが、現在のような形で遺り、保存公開されているのは、信太郎の子息である2人の学者の存在があったからだろう。長男の鈴木成文は建築計画学を専門とし、東京大学名誉教授、神戸芸術工科大学長を務め、次男の鈴木道彦はプルーストなどのフランス文学を専門とし、一橋大学、獨協大学名誉教授を務めている。
信太郎が1970年に75歳で亡くなった後、この家には信太郎の妻・花子と成文夫婦が暮らした。その後、成文は建築の専門家らしく、受け継いだ家ができる限り元の姿に保つように住み続け、現在のような形でこの家が遺った。
生前から建物を後世に残すための準備
成文は1989年に神戸芸術工科大学の教授になり、その3年後に妻を失ったが、不在がちになる自宅に教え子や留学生を下宿させ、2010年に82歳で亡くなるまで大切にこの家を保ち続けた。
生前からこの建物を後世に残すため、文化財登録を目指し、NPO法人による維持管理の準備を進めていた。そして弟の道彦は、その遺志を継いでこの土地と建物を豊島区に寄贈した。
フランス文学研究草創期の学者の書斎、戦災に遭いながら戦後復興した激動の昭和期の住宅ということでも学術的な価値のある建物だが、親子二代、兄弟の学者一家が暮らした家としてこの家を見ると、この建物にまた別の存在価値を感じる。
そして今でもこの書斎の空間に足を踏み入れると、信太郎がフランス文学や書物に注いだ深い愛情と情熱が伝わってくるようだ。
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