01. 「城下町」とは、日本における都市の形態の1つで、領主の居城を中心として成立した都市のこと
02. 過去には国内に2万5000以上の城が存在したとされるが、江戸時代以降は陣屋町も含めて城下町と呼ばれる
03. 城下町が誕生したのは戦国時代。山城の麓に政庁が設けられ、その周囲に城下町が造成されていった
04. 自然の地形を利用して敵から防御しやすい場所が選ばれ、多くは山間の川に沿った盆地だった
05. 1576年、琵琶湖東岸の安土山に織田信長の命で築城された安土城をきっかけに「近世城郭」が誕生する
06. 信長は本格的な兵農分離を目指して武士を城下に強制移住させ、市街に楽市・楽座を設けて商業を振興
07. そうして生まれた「近世城下町」をさらに発展させたのが上町台地に大坂城を築城した豊臣秀吉であった
08. 城が平地部に移ると城下町も変化し、川の下流域や海岸線といった場所にも造成されるようになっていく
09. 多くは近くの川を天然の堀として利用したが、氾濫のリスクを抑えるための治水事業が重要事項となった
10. また平地でも堅固な城にするため、大きく豊かな城下町を造るためには膨大な規模の普請が必要だった
城下町が果たしていた3つの役割
11. 近世城郭は江戸時代までに約3000城が造られたというが、諸大名の権力が増大していたからにほかならない
12. 城下町には「城の防衛機能」「行政」「商業」という3つの大きな役割があった
13. 城を守る町割が行われ、城の至近に武家地、次に町人地、外縁には堅牢な造りの寺社を集めた寺町が配された
14. こうして隙間なく建物を建てることで防衛機能を高め、要所には堀や門、木戸を設けて守りを固めた
15. 信長や秀吉は直線路を多用したといわれるが、多くの城下町は鉤の手や袋小路など複雑な道を巡らせた
16. 大名のお膝元である城下町では大名側の役人が町役人などを統括し、その行政や司法を取り仕切っていた
17. 近世に入ると領地の取り合いから貨幣経済へと価値が移行し、国力向上のためには商業が不可欠だった
18. 城主は築城の際、城下に街道を引き入れて人と物流を呼び込み、集住させた商人に活発な経済活動をさせた
19. 城と大名にとって城下町は重要な存在だったが、江戸時代に入ると防衛都市としての色合いは薄れていく
20. 城下町は幕府や藩の政治・経済の中心地となり、交易に不便な城は放棄されることも少なくなかった
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