「虐殺者」織田信長は、ここまで残酷だった そこまでやる?「本当の姿」を知っていますか
誰もが認める「戦国最大のヒーロー」のひとり、織田信長。
当時、武田信玄など戦国大名の何人かも抱いていた「天下統一」を掲げ、まだ日本に伝わって間もない新兵器「鉄砲」にいち早く着目し、その天才的軍事センスで並みいる強敵・難敵を次々と撃破。
「関所の撤廃」や「楽市楽座」などの諸政策は、旧態依然とした社会全体に広く影響を与えるなど、彼の斬新な発想力には「非凡な才能」があふれている。
しかしその一方で、信長は時に、度を超した「残虐性」「残酷性」も垣間見せた。よく知られる「比叡山全山殺戮(さつりく)」「一向一揆殲滅(せんめつ)」などの大量殺戮も行っており、同じ戦乱の時代に生きる戦国大名の中でも、その事例数は群を抜いている。
「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計17万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、ヒーローとして語られることの多い織田信長の「残虐性」について解説する。
信長は、本当に「英雄」なのか
「戦国時代を象徴する最も偉大な人物」といえば、真っ先に「織田信長」を挙げる人は多いでしょう。
若くして尾張(愛知県西部)を統一した彼は、「海道一の弓取り(東海道で1番の軍事力)」と呼ばれた今川義元を「桶狭間の戦い」で破り、その名を世にとどろかせます。
やがて京の都に上洛して近畿一帯を支配下に置くと、最新兵器の鉄砲を大量に装備し、無敵の武田軍も撃破しました。「家臣団の城下町集住」や「楽市楽座の推進」など旧来の慣習にとらわれない斬新な手法を積極的に取り入れたのも信長です。
しかし、実際の信長には、「猟奇的」ともいえる残虐な一面があったのも事実です。敵対する相手に対してはもちろん、自らの家臣に対しても、時に容赦ない冷酷な仕打ちを行いました。
信長には、数々のたぐいまれな「天才的資質」がありましたが、それと同時に、常人には理解しがたい「嗜虐性」「残酷性」も持ち合わせていたのも、歴史が示す事実です。
今回は、「ヒーロー」や「英雄」として語られることの多い織田信長の「影の部分」について解説します。
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