義両親、実母の介護を経験した58歳女性の壮絶 育児と介護のダブルケアをどう乗り越えるか

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資格を取得したのは、自分の心や過去を整理したかったから。母が大切だからこそ、精一杯のことをしてきたつもりが、母が死に向かうことを受け入れられず、かえって苦しませてしまった。片付け講座で教える立場となり、「こんな自分に何を伝えることができるだろう」と考えた。

家族できちんと死生観を語ったほうがいい

「父は信心深い人で、家の中で死について語ることはタブーでした。でも人は100%死ぬ。本当はもっと早く死を受け入れるべきでした。家族で死生観を話し合えていたら後悔することもなかった。

私は管だらけで死ぬのは嫌なのに、母にそれをしてしまった。今でも自分が許せない。生前整理は荷物の片付けだけでなく、人生を振り返り、整理する作業。だから私はこの仕事で、お客様の気持ちに寄り添っています」

母を看取った後、死を語ることにより今をどう生きるかを考える「Deathカフェ」に参加し、意識が変わった。

「自分で自分の死に方は選べません。家族で死生観を話し合っておけば、自分の生死を選ぶ場面がきたとき、家族に負担を与えなくて済む。私は息子にはこんな思いをさせたくないので、尊厳死宣言書を作りました」

尊厳死宣言書は署名した時点で、延命処置ができなくなる。香川さんは80歳になったら署名するつもりだ。

「帯広で一度だけ、1人で車を飛ばして遠くに出かけたことがあります。何もかも投げ出して逃げた、あのときの開放感ったらなかった。私は結局『介護が嫌だ』って誰にも言えなかった。でも言わないと誰も助けてくれません。いい嫁、いい妻、いい姉、いい娘になりたかった。

でも愚痴を言うことも必要。1人で抱え込んだらダメ。今なら介護の終わりがわかるけど、当時はわからず、閉塞感に耐えられなかった。経験者が話を聞く場があるといいですね。私も力になりたいと思います」

息子は訓練や治療の末、話すことも走ることもできるようになった。

「夫は帯広に来たときは、私と息子を遊びに連れ出してくれました。介護はしてくれませんでしたが、何とかしたいとは思っていたのかな。息子は小さかったので、義理の両親の記憶はほとんどありません。それがかえってよかった。

子どもってお母さんがつらそうだったら、おじいちゃんおばあちゃんのことを嫌いになっちゃうでしょ。現在、夫は義母の会社を譲渡し、介護施設の理事を務めています。当時はしなかったのに、入所者さんの介助もしているんですよ」

今年5月、20歳になった息子は介護福祉士を志し、長期休暇には夫の介護施設へ実習に行く。

旦木 瑞穂 ライター・グラフィックデザイナー

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たんぎ みずほ / Mizuho Tangi

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する記事の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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