「発達障害」の栗原類を潰さなかった"母の力" なぜ彼は社会で活躍できるようになったのか
8歳の時、当時在住していたNYで、「発達障害」と診断された栗原類氏。著書『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』でもその生い立ちは詳しく記されていますが、小1での留年、日本の中学での不登校、高校受験の失敗などの紆余曲折を経ながら、なぜ芸能界という自分の才能を生かす場所を見つけて輝けるようになったのでしょうか。
ADD(注意欠陥障害)の特徴である衝動性を抑え、コミュニケーションの不得意を克服して歩んできたのは、同じ障害を持つ母、泉さんの子育てによるところも大きかったのです。特に小学校低学年くらいまでの子育てで留意してきたことを、泉さんに伺いました。
自立への第一歩は、家のお手伝いから
発達障害の子どもをもつ親の日常。それは、子どもが子どもである間、未成年の間は、学校の勉強や集団生活についていかせること、そして、先の事を考えるといっても、せいぜい進路のことが精いっぱいというところではないでしょうか。
なにしろ親としてできてほしいことや、やってほしいことの半分もこなしてくれない。それらのことが少しでもできるようにと働きかけ、この目先のことでいっぱいいっぱいになり、将来のことを具体的に考える余裕なんてないでしょう。
しかし1日1日を積み重ねれば、親も子どもも1歳ずつ年をとる。子どももいつか成人し、年を重ねて老いていきます。先の事を考える余裕はないといっても、時間は待ってくれません。
学校の宿題や勉強、忘れ物、遅刻、規則正しい生活をする等の日々の課題に追われつつも、追加するべき項目として「自立へ向けた取り組み」を考え始めました。
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