3人の子育て中に祖母を看取った女性の生き様 母が病死し「夫、父、祖母」の同居が始まった

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母の死をきっかけに夫とともに実家に戻り、約9年、祖母の介護と3人の子どもの育児をしてきた小野さん。ダブルケアの経験をプラスに捉えられている理由とは?(筆者撮影)
子育てと介護が同時期に発生する状態を「ダブルケア」という。ダブルケアについて調べていると、子育てと介護の負担が、親族の中の1人に集中しているケースが散見される。
なぜそのような偏りが起きるのだろう。
第2回目は、結婚後家を出たにもかかわらず、夫とともに実家に戻り、約9年間にわたり子育てをしながら祖母の介護をしてきた神奈川県在住の女性を例に、ダブルケアを乗り越えるヒントを探ってみたい。

何で私ばっかり?

横浜市在住の小野玲奈さん(40歳、仮名)は、子どもの頃から母方の祖父母と暮らしていた。

小野さんが結婚して家を出た2カ月後、母が末期の肺がんであることが判明。翌年、母は57歳で亡くなった。

母は一人っ子で、父は婿養子だった。祖父はすでに他界していたが、祖母は82歳で健在。母がいなければ、今後衰えていく祖母を父が1人で介護することはもちろん、祖母と父では同居を続けることさえ難しいと思われた。

小野さんには姉がいたが、数年前に長男と結婚して家を出ていた。

そこで小野さんは夫と相談し、祖母と父との同居を決意。小野さんの夫は次男だったこともあり、夫の両親も承諾してくれた。

しかしいざ同居が始まると、母を亡くした悲しみが癒える間もなく、祖母や姉と衝突する日々が続いた。

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「姉は長女らしい責任感の強い人だったので、祖母の様子を見に週に1〜2回来ては、『私ならこうしてあげるのに』と口を挟んできました。祖母のほうは、大正女性特有のきっちりした性格で、私はいかにもB型な現代っ子。そうした性格の不一致のせいか、祖母は姉に、私に対する愚痴をこぼしていたのです」

小野さんは「何で私ばっかりこんなつらい思いをしないといけないの?」と思った。

次ページ次第に祖母の態度にも変化が…
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