3人の子育て中に祖母を看取った女性の生き様

母が病死し「夫、父、祖母」の同居が始まった

「何度逃げ出そうと思ったかしれません。でも私に長女が生まれると祖母は、『この子も頑張ってくれているんだ。小さな子どもを抱えて、自分のことまで面倒を見てくれて申し訳ない』って思ってくれるようになっていきました」

時々、祖母は「悪いな。申し訳ないな」と口にするように。

言われるたびに小野さんは、「ちっとも悪くないよ。おばあちゃんのおかげで私も成長できてると思うし、おあいこだよ」と応えた。

祖母の変化に伴い、姉も少しずつ変わっていく。

「当時、姉は初めての子育て真っ最中で、ストレスもあったのだと思います。私自身も長女が生まれたことで、小さい子どもがいるにもかかわらず、祖母のことが心配で来ている姉の気持ちが理解できるようになりました」

もちろん、小野さん自身も努力した。

姉に対しては、「外から来ていろいろ口を挟まれるのはストレスだ」ということ。「できることは精いっぱいやり、最期まで責任を持って祖母を看てあげたいと思っている」ということ。感謝や尊敬しているところなど、思ったことや感じたことを、素直に言葉にして伝えるようにした。すると、姉や祖母との関係が、見違えるように改善していった。

「言葉は大事です。考えているだけでは伝わらない。ずっと同じような言動をしていても、実は気持ちが変化している場合もあります。家族だからやってもらって当たり前、やってあげて当たり前と思ったらだめ。近いからこそ礼儀を大切にすべきだと思いました」

衰えていく祖母

小野さんが長女を出産したのは、祖母との同居が始まって2年後のこと。その頃の祖母はまだ元気で、産後、慣れない子育てに追われる小野さんの代わりに、食事の支度や洗濯などをやってくれた。

その3年後、次女を妊娠。祖母は87歳。少しずつ身体の衰えが目立ち始め、逆流性胃腸炎を起こしたり、坐骨神経痛や脊柱菅狭窄症を患い、転倒することが増えていた。

当時、小野さんの夫はもちろん、父もまだ仕事をしていたため、昼間は家にいない。陣痛が始まって病院へ向かう際には長女を祖母に預けたが、2人のことが心配でたまらず、出産した翌日には退院して家に帰ってきていた。

産後だからといって、もう祖母に家事を任せきりにすることはできない。小野さんは出産前に横浜市の産前産後サービスを調べておき、産前産後ヘルパー派遣事業を利用した。

産前産後ヘルパー派遣事業とは、妊娠中の心身の不調などによって子育てに支障がある、または出産後5か月(多胎児の場合は出産後1年)未満で家事や育児の負担の軽減を図る必要がある世帯に対して、横浜市が委託した事業者からヘルパーを派遣するというもの。妊娠32週以降なら事前の利用登録ができる。

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