3人の子育て中に祖母を看取った女性の生き様 母が病死し「夫、父、祖母」の同居が始まった

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家は人を招けない状態だったため、招かれても断っていた。しかし家の中が片付いてくると、不思議と心に余裕ができ、友人の家へ遊びに行けるように。人の家に行くと、その家の掃除法や整理整頓術を知ることができる。それを自分の家に生かすと、家の中はどんどんキレイになった。子どもの友だちが遊びに来るようになると、親同士の交流もでき、交友関係が広がっていった。

戦後の貧しい時代を経験した高齢者は、持ち物を財産だと言って手放したがらない人が少なくない。小野さんの祖母もそうだった。

小野さんは、「おばあちゃんが転倒したら危ないから、要らないものを捨てて、気持ちよく過ごせる部屋にしない?」と相談し、まず自分が実行することで、生活が快適になることを証明した。

すると祖母は、「私はもう長くない。お前たちが困らないように片付けるよ」と、体調のいいときに不要なものを捨て始め、孫やひ孫の友だちが遊びに来るようになると、自ら美容院へ行くようになる。

いい循環が生まれ始めた。

「同居してからずっと、自分のことは後回し。髪を振り乱しているのがダブルケアを頑張っている証しだと思っていました。でも違ったんです。キーパーソンである私が、ちゃんと自分の人生を大切に生きるようになったら、いろんなことがいい方向へ回り出しました。家の中や身なりをきちんとすると、医師や看護師さん、みんながちゃんと話を聞いてくれるようになったんです。整えるということの大切さを痛感しました」

祖母の死

祖母は91歳で逝去。死因は心筋梗塞に近い、いわゆる老衰と言ってもいい状態だった。

祖母は高齢のため心臓が弱っており、医師からは手術も可能だと言われていたが、「この年になって痛い思いをしたくない。手術をしてもよくなる保証はない。入院もしたくない。家にいられるのがいちばんの幸せ。死ぬまで家にいさせてほしい」と最期まで自宅で生活することを望んだ。

「私は祖母の希望をかなえてあげたいと思ったし、私自身が最期まで祖母に家にいてほしかった。祖母は最期まで凛とした女性でした。オムツもポータブルトイレも断固拒否。『はいつくばってでもトイレに行く!』と頑張っていました。最期まで祖母が頑張れたのも、ひ孫たちが側にいたからかなと思います」

晩年の祖母は入退院を頻繁に繰り返していたし、心臓や逆流性胃腸炎などの薬は飲んでいたが、がんや糖尿病といった生活習慣病も認知症もなく、食事も排泄も最期まで自分でできていた。

「ずっと手探りでやってきましたが、祖母の希望をかなえてあげられたことで、自分がしてきたことは間違いではなかったと実感できました。もちろん、『在宅で看取ったらすばらしい』ということはありません。在宅でうまくいかなくても、施設に入ることで関係が改善できたという話も聞きます。大切なのは、本人たちがいちばんいい関係でいられる方法を見定めることではないでしょうか」

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