3人の子育て中に祖母を看取った女性の生き様 母が病死し「夫、父、祖母」の同居が始まった

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片付けも在宅看取りも、祖母と小野さんの信頼関係があったからこそ実現できたことだろう。それでも最初は衝突し、つらい時期もあった。そんなとき小野さんを支えてくれたのは、ほかでもない夫だった。

「私がダブルケアをやり遂げられたのは、夫の理解や協力があったからこそだと思います」

祖母はお気に入りの畳ベッドで、孫家族全員に看取られた。危篤状態になったとき、小野さんの夫は仕事に出ていたが、「もうすぐ帰ってくるからね」と小野さんが声をかけると祖母はうなずき、夫が帰宅するのを待ってから息を引き取ったのだった。

ダブルケア経験を財産に

去年、祖母の3回忌を終えた。

「子どもたちにはずっと我慢をさせてしまいました。でも、ダブルケアだったからこそ、子どもたちは高齢者に優しい子に育ったし、祖母にはひ孫の成長を見せることで、生きる喜びを与えられたように思います」

ひ孫が増えるたびに祖母は、「寝たきりにならないように頑張るよ。おばあちゃんにできることはやるからね」と言って喜んだ。祖母と子どもたちの触れ合いを見るのが、小野さんにとっての幸せだった。

小野さんはダブルケアで最もつらかった頃、介護と育児をつづるブログを始め、たくさんのダブルケア当事者とつながり、励まし合った。「一般社団法人ダブルケアサポート」とつながったのもブログがきっかけだ。「ダブルケアサポート」は、ダブルケア当事者が交流する「ダブルケアカフェ」の運営など、ダブルケア当事者を支える活動を行っている。

「介護があったから子どもは諦めた、3人欲しかったけど1人や2人にした、続けたかったけど仕事を辞めた――。大切なはずの家族を理由にして、自分の人生を生ききれなかったと悔やむのは悲しいことです。介護があったからこそ、子どもも自分もこんなに成長できた。今、こういう考え方ができるようになった。そんなふうにプラスに捉えられるようにしたい。ダブルケアの経験を財産として生きたいと思います」

「自分のために生きることが大切」と小野さん。誰かのためと思うと行き詰まってしまうが、自分のためであれば好きに道を切り開ける。

今年4月、三女が保育園に入園した。

小野さんは、長女の出産前までインターネット関係の仕事をしていたが、産後は在宅でネットショップ関連の仕事を続けていた。

昨年は「これからダブルケアを始める人の役に立ちたい」と思い、横浜市が主催するソーシャルビジネス・スタートアップ講座に参加。今後は、ダブルケア当事者をサポートする活動に力を入れていくつもりだという。

旦木 瑞穂 ライター・グラフィックデザイナー

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たんぎ みずほ / Mizuho Tangi

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する記事の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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