社内会議に資料はどこまで必要なのか? ビジネスパーソンの資料作成作法

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 戦略コンサルタントを経て、現在、投資ファンドで地方の中小企業の再建を手掛ける著者が、企業再生のリアルな日常を描く。「事業の収益構造」といった堅い話から、 「どのように社員のやる気をかき立てるのか?」といった泥臭い話まで、論理と感情を織り交ぜたストーリーを描いていく。
社内にあふれる書類(撮影:今井康一)

資料を作ることの意味

「今日はひたすら内輪の会議向け資料作っていましたよー(怒)」

「昼間は外回りでパソコンに向かえないので、今日も遅くまで報告資料作りに追われています(号泣)」

こんな嘆きを時々、聞きます。机に向かって黙々と行う資料作りは、仕事における自虐的な文脈の中で使われる代表的表現でもあります。

「資料作り」……。やらされ感を内包する悲哀にあふれる言葉です。それだけであまり価値を生まない内向きの仕事の代名詞のようでもあります。

でも本当にそうでしょうか。資料作りというのは、余計な仕事なのでしょうか。
今回は仕事において、資料を作ることの意味を考えていきたいと思います。

(資料といってもいろいろありますが、ここで誰向けの資料だとか、どの会議で使う資料とか、一つひとつ性格の違うものを分類し始めると、冗長かつ整理学的になっていつまでも本質にたどりつけないので、ざっくり定義します。ここでの資料とは、内輪の社内会議で完結する「それだけでは金を生まない内部向け資料」としたいと思います)

その定義の下でビジネスパーソンの多くが、日々、多くの仕事を使っている資料作り。社外向けの提案書ならまだいいかもしれません。しかし、なぜ上司のために(内輪向けに)こんなことをやらなければいけないのか。社内の根回しだけのためにわざわざこんな資料を作らないといけないのか。気を抜くと浮かんでくるそんな疑問を打ち消しながら、私たちは作業に没頭します。

その没頭に費やした時間は、必ずしも内容のクオリティと比例するものでありません。形式的な修正も多分に含みます。凡例の位置だのフォントサイズだの書式だのオートシェイプだの……そういった資料内部での統一感にも気を配りながら、一見、形式的な作業にも見える不毛な作業を延々と繰り返します。社内向け資料でもそうです。いやむしろ、上司の目に直接触れる社内向け資料のほうが、結果的に社外向け以上にクオリティが高い場合もあるかもしれません。

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