受験塾講師の「根性指導」が及ぼす甚大な影響 「こんな簡単な問題も解けないの」とさらし者

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受験のためとはいえ、子どもが傷ついてもその塾へ通わせるべきなのでしょうか?(写真:しげぱぱ /PIXTA)

※石田勝紀先生へのご相談はこちらから

小5の子どもを持つ親です。中学受験塾の指導に疑問を持っています。成績順のクラスが変わって新しい先生になった日、子どもが困惑した顔で帰ってきました。間違えた問題があり、「●●さんはこんな簡単な問題で間違えているよ~」とクラスみんなの前で笑いものにされたそうです。また考えてもどうしても解けない問題があって何も書けず、空欄にしていたら「ぼーっとしているなら、帰っていいから」と言われたとのこと。ほかにもいろいろクラス全員に対して叱責を浴びせていたそうです。「下のクラスはたくさん空きがあるから(行けばいいよ)」など。
そこの責任者・教室長に電話したところ「不快にさせたことは申し訳ありません」と口では言うものの、「とはいえ、お母さん」「言葉は悪いですが」とたびたび話をさえぎり、「叱咤激励するために、僕でもよく言いますよ」「たるんでいると思うときに、ハッパをかけるのは通常です」「ここは受験のための塾ですから」などと反論されます。
人前でさらしものにするのは今どき大人世界でもタブーであり、今後はやらないこと、力のある大人がうまく反論できない子どもに強硬に言うことの恐怖を考えることを約束してはもらいましたが……。
この塾で、子どもは伸びますか? 受験のため、そこまでせねばならないのでしょうか。合格しても、長期にわたって、心にダメージが残らないか心配です。この程度でビビる子は無理じゃないの、と内心思われている気がしました。
(仮名:吉村さん)

受験のためなら手段を選ばず、という考え方は正しい?

「●●さんはこんな簡単な問題で間違えているよ~」「ぼーっとしているなら、帰っていいからね」「下のクラスはたくさん空きがあるから(行けばいいよ)」という言葉群は、どのような文脈で使われたのかは定かではありませんが、重要な視点は、お子さんが、困惑した顔をして親に話をしたという事実です。

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塾の論理としては、「やる気にさせるため」「ハッパをかけるため」「叱咤激励」ということでしょうが、それはあくまでも塾側の論理であり、最も気になるのが、「ここは受験のための塾ですから」という言葉です。この言葉がすべてを物語っていると思います。

つまり、この表現の奥には「受験のための塾だから、手段を選ばず、子どもの心が傷ついても受験に合格したいなら、このやり方は正しい」ということでしょう。このように解釈するとしたら、「そこまでして中学受験をする必要ってあるの? そうじゃないと合格できないの?」と吉村さんが疑問を持たれるのも無理はありません。

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