事実!「社長夫婦の仲がいい会社」は伸びる 山陽製紙が歩んできた「二人三脚」の全歴史

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原田社長と原田専務(写真:山陽製紙)

8月6日、被爆地・広島は73回目の原爆忌を迎えました。今回取り上げる山陽製紙は、その前身が広島にあり、本社が爆心地から数キロしか離れていませんでした。

紙製品の卸をしていた会社は一瞬のうちに瓦礫の山と化し、創業者の原田楽一(らくいち)氏は焼け跡に立ちすくみ、「身を粉にして築いたものが、なんとあっけない」と茫然としたと言います。しかし、持ち前の負けん気で、今日が山陽の創業日だと心に誓います。山陽製紙(当時の社名は「山陽紙業」)、第2の創業でした。

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イラストは、そのときの楽一氏の姿を描いたもので、会社設立50年の2007年に制作された「社史」から取ったものです。全ページが漫画の社史は珍しいですが、会社の成り立ちが生き生きと描かれ、楽しく読むことができます。皆に見てもらいたいという気持ちが伝わる、良い試みだと思いました。

原爆投下から6年、大阪で製紙業に進出。紙製品卸の広島本社とともに順調に業績を伸ばしていました。

第2の危機

そんな矢先の1957年、広島の取引先メーカーが不渡りを出したため、一時、経営困難に陥ります。山陽製紙、第2の危機です。

幸い、金融機関や仕入れ先が応援してくれたおかげで倒産を免れました。ただ金融機関から社長を楽一氏から変えて欲しいとの要望がありました。

原爆で本社が崩壊した(「山陽製紙社史」より)

「それなら、私がしばらく代表を務めます。経営のことならずっとそばで見てきたので、ひと通りのことは心得ています」と妻のトモさんが宣言。周囲が驚く中で、社長に就任しました。なおこのとき1カ月近く工場を動かせませんでしたが、退社した社員は1人もいなかったそうです。

1957年以来、山陽製紙の本社は、大阪府泉南市の男里(おのさと)川沿いにあります。2018年8月現在の従業員48名。本業は、古紙を再生したクレープ紙の生産です。クレープとは“しわ”のこと。細かいしわのある特殊紙で、丈夫なのでセメント袋などの底の部分に使われます。

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