東大阪に「町工場のエジソン」といわれる社長さんがいます。絶対にゆるまないネジで有名な「ハードロック工業」の若林克彦さんです。
筆者は若林社長とは20年来のお付き合いです。現在84歳ですがいつも好奇心旺盛で、お会いする度に元気をいただいています。5月14、21の両日も、筆者がパーソナリティを務めるMBSラジオ「日本一明るい経済電波新聞」にご出演いただきましたが、新しい分野への挑戦を力強く語ってくれました。小さい頃からの発明家魂はますます健在で、ゆるまないネジの可能性を極限まで追求しようという姿勢に圧倒されました。
そんな若林社長ですが、若い時は、手塩にかけたネジの会社をあっさり手放されたこともありました。こうした創業にまつわるエピソードを交え、ゆるまないネジの売れ続ける理由を探ります。
子どもの時に自動種まき機を発明
若林社長は10歳の時、長野県に疎開しました。そこで周囲の大人たちが種まきに苦労しているのを見て、回転する車輪に等間隔で穴を開けた自動「種まき機」を発明します。腰をかがめずに種まきができ、周囲の大人たちは大いに喜びました。若林流オンリーワン商品の第1号です。その時、若林さんは「アイデアは人を幸せにする」ことを知り、以来、この言葉は座右の銘となります。
大学卒業後、大阪のバルブメーカーに就職しました。仕事の関係で「国際見本市」に行き、展示されていた「戻り止めナット」にくぎ付けになります。言い忘れましたが、一口にネジと言っても、部品は、棒状の軸の外側に螺旋(らせん)状の溝がある「ボルト」と、穴の内側に溝の切ってある「ナット」に分かれます。この2つを組み合わせて締め付けたのが「ネジ」で、ハードロック工業は、この「ナット」の部分を製造しています。
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