老夫婦が辛苦を乗り越えて福島に帰った理由 故郷へ戻ることに理屈なんてない
福島の海は静かだった。寄せては返す規則的な波音に、あの日荒狂った海の面影はない。ほのかな磯の香りだけが、風が吹くたび鼻腔をくすぐった。
「ほら、あれ。水平線の向こうに漁船が見える」
そう海の先を指差したのは、木幡孝子さん(76)だ。隣に並んだ夫の尭男さん(80)は、妻の言葉に応えるわけでもなく、ただ黙って漁船を見つめた。その横顔は、幾度もの困難を乗り越えてきたとは思えないほど、柔らかく、穏やかだった。少し、笑っているようにも見える。
震災直後、東京での避難生活を余儀なくされた6年間。適応することに苦しみながらも、都会のアスファルトを見慣れていく日々。
「こんな毎日ももう終わりだ」
尭男さんはどこか寂しげに声を漏らした。運命に翻弄される自分自身に苦笑しているようにも見えた。周囲ではいつのものかもわからない波音が、絶え間なく響いている。
取材日は2016年11月。巨大な津波が彼らの故郷を襲ってから5年半が経っていた。
地上35階から見た景色
東京都江東区東雲にある高層マンション「東雲住宅」。都内有数の埋め立て地にある無数の高層建築物の中でも、ひと際敷地が広く、新しい建物だ。福島第一原子力発電所から半径20km圏外であるいわき市や福島市や、半径20km圏内である富岡町や双葉町、南相馬市など、幅広い地域出身の避難者たちが生活をしている。
36階建てマンションの35階に住んでいるのが福島県南相馬市出身の木幡尭男・孝子夫妻だ。1階ロビーからエレベーターに乗り込み、到着を待つこと約30秒。気圧の変化に耐えられなかったのか、到着を知らせるアナウンスの声が遠くに聴こえた。
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