老夫婦が辛苦を乗り越えて福島に帰った理由

故郷へ戻ることに理屈なんてない

前触れもなく降りかかってきた避難指示。木幡夫妻は友人らを車に乗せ、ガソリンが続く限り西へ向かった。友人らを彼らの目的地に下ろし、やっとのことで郡山市近くのJR須賀川駅にたどり着いた。途中、ガソリンが足りなくなり、福島市からはタクシーを使ったが在来線の終電には間に合わず、須賀川駅で一晩を過ごした。

3月14日が終わろうとしていた。3月15日、避難する人で溢れて乗車できなかったために始発を見送り、2本目の電車にようやく乗り込んだ。これで娘たちがいる東京に行くことができる。電車に乗り込むと、ふいに涙が出た。中の空気がとてもあたたかかった。

3月の福島は暴力的なほどに寒い。地震の被害に追い打ちをかけるように雨も続いていた。3日以上にわたり避難を続け、皮膚の中まで冷え切った体に染み渡る、車内の暖気。体温が上がると人間の心は無条件に安心するのだと実感した。

その後、東京に住む娘宅に避難し、4月18日に正式に東雲住宅への入居が決定した。東雲住宅は元々国家公務員用の職員住宅として建設されたが、入居開始前に東日本大震災が発生したため、福島県からの避難者用の仮住居として利用された。

地震から1カ月と7日。過酷な避難の果てに行きついたのが東雲だった。

1杯の芋煮での出会い

私が夫妻と初めて言葉を交わしたのは2016年9月のことだった。この日私は江東区のボランティア連絡会の会長に連れられて、朝早くから台場の近くにある若洲公園にいた。

「東雲の会」が開く「芋煮会」の準備のためだ。「東雲の会」とは、東雲住宅に暮らす福島県出身の住人たちの集まりのことで、「芋煮会」のようなイベントを定期的に催している。

この「芋煮会」は、主婦の避難者が主体となって、福島県の郷土料理の1つである芋煮を大鍋に作り、フランクフルトや飲み物と合わせて無料でふるまう大人気のイベントだ。他にも、さつまいもの種植えや収穫をするイベントをしたり、避難者のために開かれる他区の祭りに送迎つきで招待したりするなど、避難者たちの毎日の楽しみにつながるような企画を絶えず提供している。

所縁のない場所での生活を余儀なくされた彼ら自身が、同じ福島出身の者同士、手を取り合って暮らしていこうという思いで発足したのが「東雲の会」だ。里芋、人参、ごぼう、蒟蒻、大根、豚バラ肉に、たっぷりの葱。東雲住宅から集まった約50人の住人が、熱々の芋煮に舌鼓を打った。参加者に配り終わってひと段落ついたとき、私もようやく芋煮のご相伴にあずかった。

広大な緑の芝生の多目的広場やキャンプ場が広がる若洲公園。その中央にそびえる風車のふもとにブルーシートを敷いて、秋の訪れを知らせる風を感じながら食べた芋煮は格別だった。

「これが福島の家庭の味だよ」

声をする方を振り向くと、白髪交じりの5人の女性が、ブルーシートの上に並べられたパイプ椅子にゆったりと腰を掛けていた。東雲住宅でのボランティア活動に何度か参加するうちに避難生活者の顔が次第にわかってきたものの、実際に言葉を交わすのはその日が初めてのことだった。

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