老夫婦が辛苦を乗り越えて福島に帰った理由

故郷へ戻ることに理屈なんてない

「いらっしゃい。よく来たね」

木幡夫妻はいつも快く迎えてくれる。きれいに整頓された、清潔感ある玄関に足を踏み入れると、いつもより靴を丁寧にそろえてしまう。しかし彼らが歓迎の言葉の後に決まって添えるのは、「狭くてごめんね」という申し訳なさが込められた言葉だ。

玄関を抜けて現れたリビングは、4人掛けのテーブルとテレビ、鉢植えという、シンプルな空間だ。キッチンも併設されており、お世辞にも広いとは言えない。テレビの裏には大きな窓が壁一面に広がっており、ベランダに出てみると、お台場から豊洲まで、近隣の景色を一望できる。この日の天候は曇り。靄がかかった地上の様子は、どこか異次元にでも迷い込んだと錯覚させるような神秘的な眺めだった。

たわいない話をする。私の冬休みの予定や、アルバイトの愚痴を、尭男さんは楽しそうに聞いてくれる。孝子さんはその隣でお茶を淹れながら、私が大好きなクッキーやカステラを、たんと準備してくれていた。奇遇にも、尭男さんは私の祖父と生まれ年が同じであり、夫妻の間には私と同い年のお孫さんがいる。訪問するたびに私を本当の孫のようにかわいがってくれるのには、そんな理由があるのかもしれない。

地震発生当時、あの日の記憶

「大変なことになった」

脳裏をよぎったのは漠然とした焦りの念だった。2011年3月11日、14時46分。尭男さんは自宅で、孝子さんは外出先のホームセンターで被災した。大きな揺れの後、孝子さんはすぐに帰宅し、2人は合流した。今まで感じたこともない揺れに混乱しながら、テレビをつける。

画面には東北各地の被害状況が絶え間なく流れていた。木幡家がある場所は、海岸部に面する地域もある福島県南相馬市小高区の中でも、内陸に位置する。自宅は幸いにも津波の被害は免れた。3月11日当日は家で過ごした。漠然とした不安の中、事態は刻一刻と変化していく。

3月12日、とにかく腹を膨らまそうと食事をし、食器洗いをしていた最中に、ついていたテレビから家のある小高区が強制避難区域に指定されたという事実が伝えられた。福島第一原子力発電所で重大な事故が起こり、放射能が漏れているという。3月12日、21時ごろだった。

「そこまで長引かないだろう。とりあえず、毛布と下着をいくつか持って北に逃げよう」

尭男さんは孝子さんとその日の夜に車で北上し、南相馬市立石神第一小学校の体育館に避難した。外に出ると道路には一筋の光が延々と続いていた。車のヘッドライトだ。ひどい渋滞を潜り抜け、ようやくたどり着いた石神第一小学校。しかしここで過ごしたのはたった一晩だけだった。3月13日、22時ごろ、突然体育館の入り口で、作業服を着た中年男性がスピーカーを使って大声を上げた。

「たった今、この地域も危険区域と判断されました。ただちに西に逃げてください。車がある人は燃料の続く限り、西へ、逃げてください!」

次ページ避難する人であふれて乗車できなかった始発電車
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