老夫婦が辛苦を乗り越えて福島に帰った理由

故郷へ戻ることに理屈なんてない

同じものを口にして、同じ風を感じて佇んでいると、自然と距離を感じなくなる。初めて話したにもかかわらず、各家庭の「芋煮レシピ」を教えてくれた。

「東京に来てから面倒臭くて作らなくなった。芋煮は大鍋でやらないと上手くできないんだべ」

そう言って大きな声で笑ったのが、木幡孝子さんだった。パイプ椅子に腰かけていたおばちゃんたちの中でもひときわ物静かそうに見えていた孝子さんの笑い声が、予想以上に大きく響いた。端正な歯並びときゅっと上がった口角を見て、若いころは相当なべっぴんさんだったのだろうなあと予想した。

東京のスーパーで買う葱がまずいとか、高いとか。あそこの医者は混んでいる、このあいだ3時間も待ったんだ、福島ではありえないとか。たわいもない世間話を続けていると、その中のある1人の女性がこんなことを言った。

「それにしても、こんなイベントもだいぶ減ったねえ」

震災直後は月に何度も開かれていたイベントも今では数カ月に1回に減り、かつての活気はもうなくなってきているという。その言葉に、他の奥様たちも噛みしめるように頷いている。

東日本大震災発生から5年半が過ぎ、2016年夏には、多くの町が避難区域を解除された。それに伴い、2017年3月には、福島第一原子力発電所の半径20km圏外である自主避難区域から避難してきた東雲住宅に住む住民たちへの住宅支援の打ち切りも決まっていた。

東雲は東京23区内の一等地。住宅支援で光熱費や家賃が無償だったころに比べると、家賃は安くても月10万円を超える。東雲に住む避難者たちは、少しでも家賃の安い地域を探して、ぽつぽつと引っ越しを始めているのだ。その中で、木幡夫妻は異例の決断をしていた。

「私たちは(福島に)帰る」

初対面だった。しかし鮮明に覚えている。騒々しい公園の空気に筋を通すかのように断言した孝子さん。決心は相当に固いようだった。夫の尭男さんはこの日、「東雲の会」の会報紙『きずな』の編集部員として、「芋煮会」の取材もかねて参加していた。

尭男さんと孝子さんに私がいまだかつて福島に行ったことがないという旨を伝えると、「じゃあ一緒に来る?」と、その場で福島への初訪問の日程が決定した。どこの誰かもわからない大学生を自ら歓迎してくれたことに対して強く感動したことを覚えている。

芋煮のおかわりをしきりに勧めてくれたり、自分の分も食べろとフランクフルトを分けてくれたり。よそ者であり新参者である私にも分け隔てなく接してくれる。彼らは人と人との距離が近い場所で生きてきたのだろうな。温かな空気に包まれながら、そんな実感が胸の中にすとんと落ちてきた。

準備のための一時帰宅

震災から約5年半が経ったある日、私は木幡夫妻と一緒に、福島へ向かう高速道路を走る車中にいた。約250kmもの福島への道は、片道だけで4時間も要する。夫妻はこの道の往復をこれまで数十回と繰り返してきた。それは、「準備」のためである。

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