藤野は、「カップヌードルは発売から46年が経ちます。発売当時の若者はもう高齢化が進んでいますが、今の若者にも自分たちの食べ物だと思ってもらいたい」と、最近の挑戦的なマーケティングの狙いを語る。
藤野がカップヌードルのブランドマネージャーに就いたのは2014年。キャリアのほとんどは「行列のできる店のラーメン」など冷蔵商品を扱うチルド事業部にいた(現・日清食品チルド株式会社)。
「新しいものを出していく、ということの根本は当時傍流だったチルド食品を担当していた時代に生まれています」とその原点を語る。
1992年に入社した藤野の初期配属はチルド事業部の営業。当時の日清食品では圧倒的に即席麺事業、中でもカップラーメンがメイン。傍流だったチルド食品はカップラーメンに比べて売り上げ規模も断然小さく、業界でもシェア3〜4位だという状況だった。
「営業をしていても、チルド食品では日清という看板は通用するようで通用しませんでした」。カップラーメンと違い、チルドの麺は当時まだ置いてないスーパーなども多かった。商談すら応じてもらえないこともたびたびあったという。
しかし、藤野は結果的にこの厳しい環境に鍛えられることになる。チルド商品は、カップヌードルやチキンラーメンなど、安定的に売り上げの立つ名のある商品とは違い、実績が前年の倍にもなればゼロにもなる部署。「つねに、守る方法じゃなくて攻めていくことだけを考えていた」と藤野が言うように、小売店のバイヤーの目に止まるように積極的な営業をするほかなかったのだ。
「消費者目線」を持つ
15年間営業を担当したあとは、チルド食品のマーケティングを任された。ここでこれまでになかったヒット商品を次々と生み出すことになるのだが、最初から順風満帆だったわけではない。むしろ当初は、15年間の長い営業生活で染み付いた考え方が足かせになってしまっていた。
営業というのは小売店のバイヤーに納得してもらい、自社製品を棚に置いてもらうことが仕事。そのため、製品開発がいつの間にかバイヤー目線になっていたという。バイヤーは当然売れると見込む商品を仕入れるのだが、消費者が望む商品とバイヤーが望む商品には差があった。
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