三国志の英雄たちは実は「ダメ上司」だった 曹操・諸葛亮は「リーダーの反面教師」だ
リアル「三国志」は、「残念なリーダー」事例の宝庫
なじみのあるマンガや映画の三国志で展開される英雄伝・武勇伝は、ありえない作り話が満載です。しかし、事実に近い史料とされる陳寿の『正史』に立脚して、あるがままの現実を見れば、三国志の英雄も「ウチの上司/社長と同じだ!」と思える点を見つけられるでしょう。
その一例として挙げられるのが、三国志でも主役級の扱いを受ける、蜀を建国した劉備(りゅうび)です。
劉備は、関羽(かんう)や諸葛亮(しょかつりょう)など、有望な人材を集めて活躍した「仁義の人」として知られています。まさに英雄中の英雄と言われる劉備ですが、晩年は「三国一の残念リーダー」と言えるくらい、大きな過ちを犯します。
最も大きな過ちが、義兄弟の関羽が呉の武将に殺されたために決行した、呉への復讐戦です。劉備軍は無理な行軍を行ったため大敗し、自らも死んでしまいます。
この戦いの前夜では、右腕の武将である張飛が、今でいうパワハラに苦しんだ部下たちによって殺されてしまう事態まで起こっています。劉備は、張飛のパワハラを長年放置したため、戦いの前に貴重な戦力を失ってしまいました。
劉備は子育てにも失敗しています。嫡男の劉禅(りゅうぜん)は完全な「お金持ちのドラ息子」で、諸葛亮が病死するとあっさりと魏に自国を明け渡すと、自らは生き残り、生涯遊んで暮らします。
フィクションでは「理想のリーダー」の劉備であっても、現代の私たちから見ると、「ものすごく残念な部分」があることがわかります。
もちろん、残念なリーダーは劉備だけではありません。三国志の有力者たちの「残念リーダーシップ」を見ていきましょう。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら