三国志の英雄たちは実は「ダメ上司」だった 曹操・諸葛亮は「リーダーの反面教師」だ

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諸葛亮といえば、劉備に仕えた政治家で、その傑出した知性で蜀の建国を支えました。三国志に詳しくない方でも、彼の名は聞いたことがあるでしょう。史実でも、天下に名を轟かせる才能がありながら、品行方正、公明正大な性格で尊敬された、「理想の上司」に最も近い人物です。

諸葛亮:優秀すぎてチームを潰す「できすぎ上司」

しかし諸葛亮は、部下に仕事を任せることができず、何でも自分でやらなければ気が済まないリーダーでした。優秀な人材はいましたが、彼らが成長する機会を与えず、埋れさせていたのです。

諸葛亮は一度、愛弟子の馬謖(ばしょく)にある戦いを任せましたが、命令違反をした馬謖は大敗してしまいます。それ以降、諸葛亮は人材を用いることをやめ、将軍の姜維(きょうい)などの一部の者を除き、後継者を育てることをしませんでした。

君主である劉備亡き後、尊敬すべき君主も頼りになる部下もいなかった諸葛亮は、蜀のほぼすべての公務を自分で決裁し、こなしていたのです。

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魏の軍師・司馬懿(しばい)は、陣中に諸葛亮の使者が来訪した際に、諸葛亮の食事や仕事量、生活の様子などを尋ねました。使者は「(諸葛亮は)ほとんど睡眠をとる時間もなく、鞭打ち20以上の刑罰はすべて自分で裁定し、食事は数升しか召し上がりません」と正直に答えました。それを聞いた司馬懿は、諸葛亮が過労でまもなく死ぬと予測します。

司馬懿の予想はすぐに的中し、諸葛亮はその後まもなく病で倒れ、人材が育たなかった蜀はあっさりと魏に征服されてしまいます。

1人で仕事を独占し、後進に仕事を振ろうとしない人は、どんな職場にもたくさんいるでしょう。「まだまだ現役!」と張り切って現場を奔走するため、周りもその人をもてあまし、新人の成長の芽を摘んでしまいます。有力なリーダーが奔走することで一見組織はまわりますが、成長力はどんどん低下してしまい、やがて競争に負けてしまいます。 「リーダーが孤軍奮闘する集団(会社、コミュニティ、国家など)の繁栄は長続きしない」のです。

ここまで三国志のリーダーたちの失敗を見てきましたが、いかがでしたでしょうか。上司である人は自分の立ち居振る舞いはどうか、また部下の立場の人は自分の上司はどうか、参考にしてみていただけたらと思います。

宇山 卓栄 著作家

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うやま・たくえい / Takuei Uyama

1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。代々木ゼミナール世界史科講師を務め、著作家に。各メディアで、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説。著書に『朝鮮属国史 中国が支配した2000年』、『韓国暴政史 「文在寅」現象を生む民族と社会』、『経済で読み解く世界史』(以上、扶桑社)、『民族で読み解く世界史』、『王室で読み解く世界史』(以上、日本実業出版社)、『世界史で読み解く天皇ブランド』(悟空出版)、『民族と文明で読み解く大アジア史』(講談社)など、その他著書多数。

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