三国志の英雄たちは実は「ダメ上司」だった 曹操・諸葛亮は「リーダーの反面教師」だ

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曹操といえば、智謀に優れた合理主義者で、三国No.1の強国・魏を建国した、三国志の中で最も成功した大英雄です。

曹操:連戦連勝で調子に乗りすぎた「自信過剰上司」

この曹操が晩年に唯一残した汚点が、呉・蜀の連合軍と長江流域で戦った「赤壁の戦い」です。映画『レッドクリフ』の題材として、皆さんも見聞きしたことがあるかと思います。

フィクションの『三国志演義』では、“天才軍師”の諸葛亮が祈禱によって風を吹かせ、火攻めを仕掛けて曹操の大船団を派手に焼き尽くすという、現実にはありえない戦術によって敗北を喫しました。これだけを読むと、「さすがの曹操も、これでは勝てないだろう」と、誰しも曹操に同情してしまうでしょう。

しかし史実である『正史』をひもとくと、曹操が「リーダーとしてあるまじき失態」を犯していることがわかります。

そもそも、赤壁の戦いの敗因は「火攻め」ではなく、「病気の蔓延」だったとの見方が有力です。史実である『正史』によると、この「火攻め」についてはあいまいな記述が多い一方で、「疫病が流行して、官吏士卒の多数が死亡したため撤退した」という撤退理由が記されています。

実はこの疫病は、「長江流域特有の風土病」としてよく知られていました。曹操の参謀の賈詡(かく)は、この点を踏まえて「呉侵攻の準備には3年かけるべき」と進言しています。

しかし、曹操はそれまでの戦いで勝ちが続き、慢心していました。「士気の高いうちに一気に決着をつけるべきだ」と呉への侵攻を断行した結果、大敗を喫します。

普段、曹操は、賈詡や程昱(ていいく)などの参謀の言うことによく耳を傾けました。しかし、天下統一を目前にして意識が高揚し、冷静な判断を欠いていたのです。こんなときこそ慎重になるべきですが、あの曹操でさえもそれは難しかったようです。

勝ちに乗じた人は、自信と意欲にあふれています。そんなときこそ、足をすくわれることのないように、部下がしっかりと進言をしなければなりません。上司と部下の関係が、最も試されるときといえるでしょう。しかし、腹心の賈詡や程昱ですら苦労したように、それは簡単なことではないのです。

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