三国志の英雄たちは実は「ダメ上司」だった 曹操・諸葛亮は「リーダーの反面教師」だ

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最盛期には河北の4州を支配し、多くの参謀を抱える群雄の1人だった袁紹(えんしょう)。彼は名門汝南袁氏の出身の、いわゆる名門一族出身の貴公子。一言で評するなら、財閥の筆頭というイメージです。

袁紹:ゴマすり部下を優遇した「自己中上司」

しかし袁紹は、部下を「好き嫌い」で判断する性格で、自分の考えとは異なる意見を言う配下を無視し、お気に入りの参謀・郭図(かくと)の甘言ばかり採用しました。

この被害を特に受けたのが、配下の武将・張コウでした。西暦200年、曹操と袁紹が直接対決を行った「官渡(かんと)の戦い」では、郭図と張コウは別々の場所に兵を送ることを進言します。 この際、袁紹は軍を二手に分けて攻撃するという優柔不断な戦略をとり、全軍が共倒れして大敗してしまいました。

この際、お気に入りの郭図が袁紹に「張コウは敗戦を喜んでいる」と讒言(ざんげん)します。自分の君主が郭図の進言ばかり聞くことに反感を抱いていた張コウは、ついに袁紹を裏切り、敵である曹操に寝返ってしまいます。

張コウはその後、魏軍の勇将として長期にわたり数々の戦果を上げました。袁紹は有力な部下を生かし切れなかったばかりか、やすやすとライバルに渡してしまったのです。

袁紹はほかにも失敗を犯しています。曹操が劉備と戦って、彼の本拠地を留守にしていたときのこと。参謀の田豊(でんほう)が、曹操の背後を襲撃するよう袁紹に進言します。しかし、袁紹は息子(袁尚・えんしょう)の病気を理由にこの進言を採用せず、曹操を滅ぼす絶好のチャンスを逃してしまいます。

その後息子の病気が治り、袁紹は曹操に戦をしかけようとしますが、田豊は「すでに勝機を逃し、今戦えば大敗する」と反対します。これに腹を立てた袁紹は、「田豊がわざと自分の考えに反対している」と、彼を投獄してしまいます。結局、袁紹は、曹操を倒すことができずに生涯を終えます。

上司にいくら正しいことを言っても、「わざと反対している」と曲解されては、返す言葉もありません。「忠言耳に逆らう」という言葉のとおり、仕事の難点を正確に指摘しているのですが、上司は「ケチばかりつけて、傲慢なヤツだ」と遠ざけがちです。部下にすれば、このような上司は見切って当然でしょう。

次ページスキャンダルで国を滅ぼす「優柔不断オーナー」
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