「オーナー経営者」の頭の中を探ってみる 絶対権力者の生態を考察する

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一方でオーナー経営者は、結果がすべて自らの人生に降りかかってくるわけですから、理屈の上での責任はどうでもよく、合意形成とかまったく関係ありません。それは、はたからみるとわがままにも映りますが、結局、それは自分自身にベクトルが向くという合理的判断の結果でもあります。

オーナー経営者には、本人にしかわからない苦労が本当に多いのだろうと感じたエピソードがあります。食事会の場で、私があるオーナー経営者に「苦労を楽しむとか、苦労を通して成長する」とかいう、ある意味での「苦労前向き論」をうっかり口走ったとき、そのオーナー経営者に尋常ならぬ勢いで反論されました。
苦労なんて楽しめるわけがなかろうと。苦労はつらいんだと。お前は本当の苦労というのを知らないのだと……。

私はオーナー経営者の孤独と、本当の意味での責任の片鱗に初めて触れた気がしました。

オーナー経営者の公私混同

そしてオーナー経営者を見て感じるのは、(これは上にもまして人によりますが)公私混同が散見されるということです。ちなみにこれは、会社のカネを自分のプライベートに使うという犯罪的行為ではもちろんありません。あくまで仕事の延長としてです。

たとえば、移動時の飛行機はファーストクラスとか新幹線はグランクラスとか、電車のほうが早い場所にタクシーで移動とか、会食時に簡単に領収書を切るとかです。要するに仕事には関係しますが、かすっているようなファジーな領域での(慎ましやかな)大胆さです。うらやましいような無駄遣いのような思いもしますが、これも道義や道徳とかいう範疇では、真の意味を理解できません。

ここでの行動原理はとても単純で、要するに自分のカネをどう使おうが自分の勝手という論理(の延長)です。オーナーというのは会社の所有者であるわけですから、自分の財布と会社の財布にそんなに違いがないわけです。私用に使うわけではないのですから、自分のカネをどう使おうとも自己責任であり、他人からとやかく言われる覚えはないという発想です。

これに関連してよく「会社の私物化」と言いますが、私はその言葉に違和感を持っています。「会社の私物化」が例えとして使われる場合は、湯水のように会社のカネを自分のエゴで使うことを意味することが多いと思います。でも本当に私物化であれば、湯水のようには使えないはずです。自分のカネは大事にするからです。むしろこれはオーナー経営者的発想ではなく、サラリーマン的発想。つまり私物(自分のカネ)ではないと思っているからこそ、好き放題に使うわけです。真の私物化とは、大切に使うことだと思います。

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