サラリーマンの野党根性
さて、これまでオーナー社長の傍若無人さを多少オーバーに述べつつ、その一方で合理的振る舞いを解釈してきましたが、やはりそこには一般大衆には想像しえないオーナー社長という恍惚と、計り知れない恐怖があるのだと思います。
オーナー社長は上司もいません。雇い主(株主)もいません。不満を言えません。結局、自分でどうにかするしかないわけです。
オーナー社長がオーナー社長たるゆえんは何か。性格でしょうか。いや、私はつねに与党的振る舞いをしなくてはいけないという、その環境こそがオーナー社長を形成するのだと思います。
私たちのサラリーマンのキャリアは、(権力を持っていないという意味で)野党からスタートします。そして少しずつ昇格に伴って権力を持っていく、つまり与党になっていきます。しかし社会人人生の中で、初期に刷り込まれた野党根性から脱していくのは、容易なことではありません。
私などはいざ自由に振る舞ってよいと言われたら、まずほかの人が何をしているかをうかがいそうです。それは組織にスポイルされている証左です。
あるいは、自分が反対した戦略が会議を通過し結果的に失敗したとき、「だから反対したじゃないの」と肩をすくめていそうな自分もイメージできます。でもそれは本質的にはとても恥ずかしいことです。失敗しそうだとわかっていたなら、なぜそういう意思決定を許容したのか。それは自分の力がないからだし、野党感覚が抜けていないからです。
そんな感覚が、私の性格なのか環境なのかはわかりません。きっと両方なのだと思います。
野党的根性がいまだに抜けきれない私にとって、つねに与党であり続けるオーナー経営者というキャリアは、とてもまぶしく映ります。
※ 本文は筆者の個人的見解であり、所属する組織・団体を代表するものではありません。
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