東大を3度落ちた男が辿り着いたカフェ経営 映画や穀物栽培など手がける人気店の裏側
ある日、法事の仕出し弁当を食べながら、気づいたんです。通り一遍の冷めたまずい天ぷらと、固くなったご飯。でも、お寺といい関係を保ち、何十年も仕事として成り立ってはいる。もちろん、お客さんが美味しく食べているかどうかなんて関係なく。
「うちのやっている仕事はこれと同じじゃないか!」隣にいた奥さんに、その怒りをぶつけたら、ひと言「そうかもね」って(笑)。
ちゃんと温かい、故人を偲ぶような料理を出したかった。ちょうど、子どもができた頃に、子育てもあって、ぼくが代表になり、会社の舵をとることになったのですが、決められた仕様の中では企業努力の甲斐もなく、また「辞めよう」と思いました……。
セレンディピティで生まれた「カフエ マメヒコ」
井川氏:ちょうどその頃、またひとつ気づきがありました。ようやくマメヒコ誕生の章に入ります(笑)。デジタルコンテンツの制作と同時に、料理上手だった元教え子のお母さんを誘って、料理教室をやっていました。すでに7年ほどやっていて、生徒も100人くらいの規模になっていました。
そこでは、一生懸命美味しい料理を作れば喜んでもらえる。一方、番組制作は大変な思いをしている割には、喜びが少ない。基本はダメ出しの世界。喜びに直結する仕事がしてみたい……。
――それで、いよいよマメヒコの誕生に。
井川氏:もうワンステップ、セレンディピティがあって……(笑)、まあ飲食というのはいいなと思っていたところで、生徒のひとりが「カフェやったらいかがです?」と提案してくれたんです。「私ちょうど会社を辞めて、カフェに勤めたいと思うから、つくってくださいよ」って(笑)。
基本的にディレクターは、番組づくりのなかで、企画を勉強して、想像してみるのが仕事です。カフェも実際にオープンできるか、ひとつの企画としてシミュレーションしてみようと、「今もしぼくが、カフェを作ったら」という企画だと思ってやってみました。店名、ロゴ、カフェの開き方の本なども片っ端から読んでノート1冊分の企画書つくって算段すると、どう見積もっても5000万円くらいはかかってしまいました。
「これは無理だな」と思いましたが、とりあえず本には銀行での資金調達についても書かれていたので、銀行に実行してみると2軒目の銀行の支店長が理解を示してくれました。「ただ理想だけではお金は貸せないから、決算書を持ってきて欲しい、それで判断したい」と。
そのとき、はじめて決算書という存在を知り、奥さんに「ウチにもケッサンショあるか?」と聞くと出してくれたので、それを持ってふたたび銀行にいくと、「その売り上げ規模なら3500万円は貸せる」と。