東大を3度落ちた男が辿り着いたカフェ経営 映画や穀物栽培など手がける人気店の裏側

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

ちょうど『北の国から〜’87初恋〜』が放映された頃で、たまたまテレビで見て「なんてすごいんだ。これがプロの仕事なのか」と、曲がりなりにも“脚本”を作ったと思っていたぼくは、その差に衝撃を受け、もう一度見たいと思いました。

家にはビデオデッキがなかったのですが、運よく同級生のひとりが録画していて、ビデオデッキごと貸してくれることになったのです。ところが、家のテレビが古すぎて、そのビデオデッキに対応する入力端子がなく……。

ビデオカメラで「見て」、テープレコーダーで「聞く」

――テレビに繋げない……、どうしたんですか(笑)。

井川氏:映画を撮る時に使ったカセット式のビデオカメラがあったことを思い出し、それでなんとか再生し「見る」ことに成功しました。望遠鏡のような小さなファインダーに片目を押し当てて、小さなモノクロ画面の「北の国から~’87初恋〜」を繰り返し見ていました(笑)。それでも、いつか返さないといけないので、音声だけ録音して、今度は画像なしの『北の国から』を何度も聞きました。

すっかりハマった息子を見て、父は『北の国から』の脚本を、買って来てくれました。それを読んで、さらに驚きました。自然に演じられていた情景が、実は綿密に作られたものだったんだ、と。ひとりの情熱と、優秀なプロフェッショナリズムの集合によって、あの『北の国から』は作られているんだ、と。ぼくも、何かのプロとして生きていきたいと思うようになりました。

その一方で、やっぱり王道である東大に進んで欲しいという親の要望もあって、高校は桐蔭学園という進学校へ進みました。「やる気がないけれど、レールから逸脱する勇気のない自分」。「それでいいのかという気持ちの葛藤」。小学生で受験を辞めたときは精神面でのプチドロップアウトでしたが、この頃になると精神面も学業面でもノリについていけない。いよいよ王道から外れたなと正式にドロップアウトを感じましたね。

価値観にはついていけませんでしたが、ひとつ素敵なこともありました。クラスでからかわれていたある同級生が、怒ってお弁当を床にひっくり返したことがありました。お弁当はプリンのように見事な逆さになっちゃって……。

周りにいたクラスメイトも静かになり、誰もがその状況にどうしたらいいのか分からず、うろたえていたんです。その時ひとりの同級生が、床にひっくり返ったお弁当の前に正座して「これ、まだ食えるよ」ってひょうひょうと弁当を食べ始めたんです。

――ひっくり返った弁当を、ですか?

井川氏:床から数ミリの部分だけ残して綺麗に平らげちゃったんです(笑)。「その手があったか!」と思いましたよ。ストレートにいじめをやめようと言ったり、対策として副担任をつけたりするのとは何か違う。その同級生は、ユーモアで場を和ませた。ぼくも、物事をストレートに表すのでなく、そういう機転とユーモアで何かを表現したいと思うようになりました。

次ページまさかの「東大」三度落ち
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事