東大を3度落ちた男が辿り着いたカフェ経営 映画や穀物栽培など手がける人気店の裏側

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井川氏:倉本聰が文学部だったという理由で、ぼくも東大の文Ⅲを受けたのですが、まさかの不合格。翌年も東大一本でダメ。「もう大学に行かない」と言い出し、さすがに親も「スベリ止め」を提案してきました。

ドラマや映像に対しての思い入れがあったのは確かですが、日大の芸術学部を選んだ理由は特になく、放送学科に決めたのも、試験日程が東大とかぶらないからでした。そして案の定、三度目も東大は落ち、日大に進むことになりました。周りは、みんなそこに入りたくて入った人たちばかりで、情熱もありました。「全然違う場所に来てしまった」という感覚でした。

周りが学生生活を謳歌(おうか)する中で、ぼくは家庭教師のアルバイトを個人でするようになりました。塾生活が長かったので勉強のノウハウも分かるし、それでいて、三度も試験に落ちているので(笑)、生徒たちのわからない気持ちも分かる。だんだん口コミで、人気が広がって、生徒が20人くらい、月にして40万円ぐらいの収入になり、大学1年生の時に個別指導の学習塾にしてしまいました。

――生徒に教える井川先生……どんな感じだったんでしょうか。

井川氏:今まで先生に恵まれていなかったという想いもあって、ぼくがわかりやすく教えてやるんだって意気込んでいました(笑)。最初は、中3と高3を1年間、合格まで面倒をみたら終わり、と思っていました。ところが、「その妹が、弟が……」と駆け込み寺みたいになってしまって。

毎年延長して気づけば4年間、東大を目指す子どもに関数を教える傍らで、その妹にアルファベットのABCから教える。大学の同級生が、サークルがどうだとかやっている間に、夏期講習の準備をせっせとしていました。

初任給2万8000円……やっぱり世の中甘くない

井川氏:そんな調子で、大学の単位は4年間で8単位しか取れませんでした。大学からの通知を受け取った親が一番驚いたと思います。東大を「諦めて」の日大で、まさか単位をまったく取れていなかったなんて。母は呆れ、父からは「辞めるなら、きっぱりけじめをつけろ」と言われました。

――学習塾を続けず、別の道を模索することになったのは。

井川氏:儲けよりも、いかにみんなにわかるまで教えるか、わかりやすく教えるかを優先してやっていたので、塾経営という点ではダメだったと思いますよ。力が入りすぎちゃっていたんですね。塾を大きくするだとか、そういうことは考えませんでした。だから将来の仕事にしようとは思いませんでした。

大学では自主制作の映画の総監督(監督、脚本)もやっていたのですが、皆はそれぞれ就職活動のアピールポイントとして活用できたけれど、自分は何も活かせていませんでした。一生懸命やってきたけれど、ぼくには何が残ったんだろうという気持ちもあって、やってきたことをリセットしようと思ったんです。そして、大学は4年生になる前に辞めました。

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