「台湾で一番有名な日本人」の波乱万丈な人生 自衛隊やテレビ局を転々とし、台湾で開花

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吉田皓一氏が「台湾イチ」になるまでの軌跡に迫る

台湾で最も有名な日本人――。現地で近年、そう呼ばれる人物がいる。台北でウェブサイト運営などの事業を手がける吉田皓一氏だ。

吉田氏は自身が立ち上げたジーリーメディアグループという会社の代表を務める。もっとも有名なのは、29歳だった2012年に立ち上げた、台湾人の視点で日本を紹介するwebサイト「樂吃購(ラーチーゴー)」だ。

同サイトは、SNSを連動させた読者参加型の口コミサイト。エンタメ、食、買い物、ホテル、インフォメーションを都道府県ごとに紹介する台湾版「食べログ」のようなものといえばイメージがつきやすいかもしれない。

現在はページビュー数が月間300万を超え、Facebookのいいね!獲得数は50万に迫る。開設から4年で日本の情報紹介サイトとしては圧倒的なシェアを獲得し、台湾のテレビを中心にメディアで何度も取り上げられている。

事業展開は幅広く、メディア運営のほかにも、行政・民間の台湾進出やPRを手掛け、近年では自国のスター選手である陽岱鋼選手が属する、北海道日本ハムファイターズの台湾人観戦者の増加にも一役買っている。吉田氏は、「僕のような一般人のいいね!数がこんなに増えて驚いています」と笑うが、イチビジネスマンがここまで他国で支持を得ているケースはほかに類を見ないのではないか。そんな吉田氏が、“台湾イチ”になるまでの軌跡に迫った。

現地のバーでニーズをつかみビジネスに

吉田氏の経歴は少し異色だ。奈良の高校を卒業した後、幹部自衛官を志して防衛大学に入学するものの、公務員的な働き方に希望が持てず、退校して慶応義塾大学経済学部へと進路転換。

一見エリートコースまっしぐらのように映るが、慶応在籍時はお酒に明け暮れる日々。結果的に単位が足りず留年も経験し、その半年間を利用して台湾へと留学した。それが思わぬ転機となった。日本からの留学生たちが勉学に勤しむ中、独学で中国語を習得した吉田氏は、台北のバーにアルバイトとしてもぐり込み現地の人脈を築いていった。

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