「台湾で一番有名な日本人」の波乱万丈な人生 自衛隊やテレビ局を転々とし、台湾で開花
縁あって多くの時間を過ごすことになったバーは、政治家や有名人、起業家たちが集う場所だった。そのうち有力者たちの中でも「日本から来た変なやつがいるバーがある」と評判を呼んだ。そうした人々と交流する中で、台湾人が本当に欲しい情報、クーポン活用サイトが広く受け入れられていることなど、現地の活きた情報を仕入れて、その後のビジネスの礎を作った。
日本に帰国した後は、当時唯一、民放で台湾支局を構えていた(2010年に撤退)朝日放送に興味を持ち、入社するが、結果的に3年で退社することになる。当時の様子をこう振り返る。
「もともと海外志向が強かったんです。今は少し変わりつつありますが、当時のテレビ業界は100%国内市場に依存し、40年後に働ける業界とは思えなかった。生意気極まりないのですが、1年目から一貫して『海外へ目を向けるべきだ』と言い続けました。
3年間で受け入れられることはなく、次のアテもなく退社を決めました。起業家を志していたわけではないので、好きな仕事をできていたら多分まだ朝日放送にお世話になっていたと思います。給料も驚くほど高かったですしね」
なぜ台湾に惹かれたのか?
退社後は、大学時代の先輩の会社を手伝いながら貯金を切り崩す日々。収入は3分の1以下まで激減し生活は厳しくなったが、同時にビジネスができる場所を模索し始めた時期でもあった。
そんな中まず目をつけたのが中国。北京、上海へ何度も渡るが、知れば知るほど“火傷するな”という感覚しか生まれなかったという。ところが、留学時代の友人に声をかけられて台湾を訪れると、中国とはまったく違う印象を持った。
「台湾滞在中に“日本人だから”という理由で不快な思いをしたことは一度もないんです。酔って財布をなくしたことが3度あるのですが、3度とも手元に戻ってきたくらいだから、驚きですよね。
驚く点はほかにもたくさんありました。たとえばメディア業界。テレビの業界では100局もの局がひしめき、0.5~0.6%のシェアを取り合っています。新聞は政党色が強く、国民の信頼は得ていない。そのこともあって、台湾はSNSの人気が圧倒的で、特にFacebookの人口普及率は世界トップなんです(アウンコンサルティング調べ、2015年)。
このようにネットの分野は圧倒的に有望でした。親日国で、日本への旅行需要も高い。そこで、ガイドブックに載っていない肩の力を抜いた情報を発信したら面白いのでは、と考えるようになりました」
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