「台湾で一番有名な日本人」の波乱万丈な人生 自衛隊やテレビ局を転々とし、台湾で開花
特筆すべきは、吉田氏がいかにして台湾で有名になっていったのか、という点だ。台湾でのビジネスを模索していた時に、気分転換のつもりでFacebookページを開設し、日々の他愛もない様子を綴っていった。たとえば内容にはこんなものがある。
「深田恭子が痩せて綺麗になった」「今の日本は花粉がキツい時期だ」「よっちゃんイカの限定バージョンがおいしい」「日本人が台湾に来て困ったことあるある」
投稿を続けるうちに、瞬く間に予想をはるかに超える訪問者数となり、ページ上からメディア出演やビジネスの誘いまで受けるようになった。ここで活きたのが、テレビ局時代に培った対人スキルだった。
「デジタル全盛に思われそうな業界ですが、テレビ局は”アナログ営業“の世界なんです。僕も営業マンとしてちょっとしたことでもコミュニケーションをとるために人に会いに行きましたし、飲み会はいつでも参加しましたね。台湾人はドライな面もありますが、よい意味でウェットな部分もある。そこで、泥臭く、人間臭く関係性を築くことを意識していました。そんな姿勢は台湾のパートナーさんたちからすると逆に新鮮だったのかもしれません。今でも社員にはお客様と飲める機会があれば必ず行け!と言っています」
こうした背景と、活きた情報のFacebook上での拡散も手伝い、「樂吃購」はわずか1年間で月間300万アクセスを叩き出すまでに成長。それに比例し、観光地、飲食店、宿泊施設、百貨店、販売店を中心に日本でのPR記事の掲載数は増えていき、広告出稿量は今なお伸び続けている。SNSをキッカケに、台湾イチ有名になるという、日本ではなかなか考えづらいサクセスストーリーだ。
大都市だけでなく、地方都市への集客が使命に
現在、吉田氏に寄せられる問い合わせにはこんなものがある。「私たちの自治体に旅行者を増やすためのPRを全面的にお任せしたい」。今年に入ってからも熊本県、岩手県のPRを手伝い、陸奥市のブランディングも手掛けている。
「今はメディア運営を軸にしつつ、台湾で日本のお土産を取り扱う店を運営したり、行政や企業さんと連携をとり、点ではなく、面での仕事が増えてきました。正直、金銭面だけでみると、メディア運営だけをしているほうが割がいい。ただ、各都市の関係者の方と話しをしていると、切実な悩みを聞くことがあります。中でも深刻なのが東北地方。東京、大阪のように放っておいても人が集まる場所ではなく、最近ではそうした困っている地域の役に立つことが僕の使命じゃないのかな、と考えるようになりました」。
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