以前の記事で書いたように、子供の頃から僕の夢は宇宙にあった。だからNASAに行きたいと思った。そのためにMITに留学した。単純で幼稚だと思われるかもしれない。しかしこれが、渡米時22歳だった僕の、偽らざる気持ちだった。
だが、その夢と目標を完全に見失ったことが一度あった。MITに留学して4、5年目で、ちょうど「卒業後の進路」とやらを考え出した頃だ。当時の僕は、宇宙どころか、研究さえも辞めようと思っていた。かといってほかに夢も目標も見当たらず、ありていに言えば「モラトリアム」の状態だった。
中だるみと言われればそれだけの話かもしれない。だが、「モラトリアム」に陥った原因には、僕なりの深い悩みがあった。
貧困、食糧危機、気候変動などで世界中の人が困っているときに、宇宙開発などに大枚を投じることは正しいのか、という悩みだった。
宇宙開発への問題意識
MITは、科学技術を通して社会のために役に立とうとする意識がとりわけ高い学校だ。2012年に着任した新学長は、就任演説でこう述べた。
“Today, as the world faces grave problems around water and food, poverty and disease, energy and climate, society needs the creative force of its universities more than ever.(今日の世界は、水や食料、貧困や疾病、エネルギーや気候変動などにおける深刻な問題に直面している。だからこそ、社会は大学の創造力をいまだかつてないほどに必要としているのだ)”
これは口先の言葉ではない。たとえばあるMITの友人はロボット義足の研究をし、障害者が足を取り戻すことに貢献していた。また、たとえばある友人はがんの病理の研究をし、それが実になればある種類のがん患者の数パーセントを救えると言っていた。またある友人は情報格差が貧困の新たな原因となるとの危機感を持ち、発展途上国の学校向けの安価なラップトップ・コンピュータを開発し寄付する活動を行っていた。
そんな心から尊敬できるMITの友人たちの隣で、僕は火星だ、木星だと言う。それはいったい誰の役に立つのだろうか。どう社会をよくするのだろうか。ふつふつと湧き出したこのような疑問に対して、僕は何も答えを与えることができなかった。
それを当時の僕は恥じた。自分の夢は、周囲の友人たちの夢よりも、子供じみて、劣ったものであるように感じた。
きっと多くの方にも似たような経験がおありではなかろうか。まだほんの小さな子供の頃、男の子ならば将来は戦隊ヒーローになりたい、女の子ならばお姫様になりたいと言い、それが無邪気に許されていた時代があった。しかし周囲の友人たちが大人びていくにつれ、自分の子供じみた夢を恥じ、それに背を向けて、大人の階段を登ろうとした時代がやがて訪れる。
そうした誰もが経験するはずの幼年時代との決別を、幼い頃からの宇宙好きだった僕は経験することなく、22歳にまでなってしまった。そんな大きな子供が、MITでの経験を通して宇宙への夢に疑問を感じるようになったのは、僕にとっての、いわば長すぎた幼年時代との決別だった。
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