子をMITに入れたいならば 家庭と小学校の教育はいかにあるべきか

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新世代リーダーは、政治経済の分野だけに求められているわけではない。科学技術の分野にも、フロンティアを切り開く人材が必要とされている。当連載では、航空宇宙工学という切り口から、新時代のリーダー像を探っていく。MITで航空宇宙工学の博士号を取り、NASAジェット推進研究所(JPL)への転職を決めた筆者が、自らの幼少時を振り返りながら、家庭や小学校での教育はいかにあるべきかについて考える。
JPLのビジターセンターに展示されているボイジャーの実物大模型。前回の記事で解説した「宇宙人への地球土産」である金色のレコード盤が奥に展示されているのが見える。

なぜ僕はMITへ行きたいと思ったか。前回の記事に書いたように、アメリカで宇宙開発をするという幼少の夢に近づくためだった。なぜ僕はNASA ジェット推進研究所(JPL)での職を執念で掴み取ることができたか。夢が僕に諦める事を許さなかったからだった。では、その夢を僕に与えたのは誰か。それは父親だった。

親自身が楽しんでこその教育

父は企業に勤める光学の研究者だった。僕が幼稚園か小学校低学年の頃だっただろうか、筋金入りの天文マニアだった父は、立派な天体望遠鏡を買ってくれた。いや、買ってくれたというより、本当は父が欲しかったのだ。妻の財布の紐を緩めるには「子供の教育のため」という言い訳に限る。

この望遠鏡が僕の原点だった。

何はともあれ、父は毎週末の夜に僕を家のベランダに連れ出し、凸凹の月の表面、木星の縞模様、土星の輪など、様々な美しい宇宙の姿を覗かせてくれた。

父には教育を授けてやろうという押しつけがましい下心が一切なかった。それが良かった。子供は親の下心を鋭く見抜くものだ。下心を嗅ぎ取ったら、すぐにそれを嫌いになる。そうして親の「教育」は失敗する。

僕の父は、教育云々以前に、誰よりも彼自身がそれを好きだった。星を観る時の父は本当に楽しそうだった。凍える真冬の夜でも、冬の星は綺麗だからとブクブクに着込んで熱心に望遠鏡を覗いていた。だから僕もその筒の中にはどんな面白いものがあるのだろうと思って、白い息を吐きながら、一緒に夢中で星を観た。そしてその世界の虜になったのだった。

父から学んだエンジニアリングの基礎

父は手先が器用な人で、自分で何でも作った。机や椅子から、棚、犬小屋まで、実家の家具の多くは父のお手製だ。例の天体望遠鏡の背中に乗っていたファインダーは、彼がどこかで拾ってきた水道管を切ってレンズを付け自作したものだった。

子供の頃に父と一緒に自作したスピーカー。現在でも現役だ。

ベランダからでは当然、空の半分しか見えない。そこで父は盆踊りに使われるような木製のやぐらをベランダに建て、屋根の向こうも見渡せるようにした。そのやぐらを僕らは「天文台」と呼んだ。

しかし、いくら全天を見渡せても、東京の空は明るいため暗い星は非常に見つけづらい。そこで彼は星を見つけるためのコンピュータプログラムを作った。コマンドラインから星の赤緯、赤経と観測日時を入力すると、その時にその星が見える方角と高さを教えてくれるというものだった。「天文台」に登り教えられたとおりの方向に望遠鏡を向けて覗くと、その星がぴったりと視野の中に納まっているのだった。まるで父がコンピュータのキーボードを叩いて星の位置を操っているようだった。

父が物を作る姿が楽しそうだったから、僕も自分で作ってみたくなった。おそらく父も息子と趣味を共有するのが楽しくて仕方なかったのだろう、小学校になると、のこぎりのひき方、釘の打ち方から、電子回路の半田付け、抵抗のカラーコードの読み方、コンピューター・プログラミングに至るまで、様々なことを教えてくれた。

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