子をMITに入れたいならば 家庭と小学校の教育はいかにあるべきか

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人生の最大の幸福とは

僕は5歳の頃に大病を患った。頸部神経鞘腫という、首を通る神経を包むようにできる腫瘍だ。悪性腫瘍、つまり癌である可能性があり、それは切除するまで分からなかった。

診断があった日、母は僕のいないところで泣いていたらしい。しかし、僕の前では少しも弱気な顔を見せなかった。おかげで僕は気楽で、小児病棟には年の近い子がたくさんいたから、入院は完全に遠足気分だった。それに引き換え、母は僕の無知で無邪気な姿を見ると余計に辛かっただろうし、気丈に振舞うのはなおさら容易ではなかっただろう。

下手な医者に手術されると神経を切られて瞼が開かなくなる恐れがあったので、医者をしている叔父と叔母の紹介で、僕は腕の良い外科医のいる金沢大学付属病院に入院した。母は妹を大阪の祖母に預け、一緒に金沢に来て、僕の病室の床に布団を敷き、退院までずっと付き添ってくれた。

入院中のことはあまり覚えていない。しかし、ただひとつだけ、明瞭に覚えている事がある。手術の朝は食事を与えられず、「ボーロ」という小指の爪ほどの小さな焼き菓子を20粒だけ食べることが許された。そこで母も自ら食事を抜き、僕と同じボーロ20粒の朝食を、病室で一緒に食べたのだった。

手術は無事に成功し、腫瘍も悪性ではないことが分かった。それを医師から告げられた時の母の安堵はどれほどのものだっただろう。

アガサ・クリスティは「人生の中で起こりうる最も幸運なことのひとつは、幸せな子供時代を持つことである」と書いた。今、子供時代を振り返るにつけ、この言葉の意味をひしひしと実感する。

きっと幸せな子供時代に恵まれた人は皆、その幸せを象徴するような、美しい思い出の情景を胸の内に大切に持っていると思う。僕にとってのその幸せの情景とは、父と白い息を吐きながら「天文台」の上で望遠鏡を覗いた冬の夜、そして母とボーロを20粒ずつ食べた金沢の病院での朝だ。

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