憧れを持つことと一歩を踏み出すことは違う
なぜ22歳の僕がアメリカを目指したか。そんなに大した理由はない。たとえば野球選手はメジャーリーグに挑戦したいと思う。サッカー選手はヨーロッパでプレーしたいと思う。それと同じように、宇宙に憧れる若者が、アポロやボイジャーを作った国で学び活躍したいと思うのは、ごく自然なことだろう。
だが、それだけではなかった。憧れを持つことと、実際に一歩を踏み出すことは、まったく違う次元の話だ。僕が一歩を踏み出すことができたのは、あるひとつの幸運な出会いに恵まれたからだった。
その出会いがあった学部4年生の頃まで、僕は学位留学という選択肢を考えもしなかった。意思がなかったのではない。ただ、選択肢の存在を知らなかったのだ。周囲に前例がなかったから、一介の学生として正規留学する道があるなんて知りもしなかった。
だから僕は、宇宙への夢と、漠然とした海外への興味を持て余しつつ、バイトをし、飲み会で騒ぎ、テニスにふけり、バンドでギターを弾き、ほかの多くの人たちと大差のない大学生活を、さしたる疑問もなく送っていた。卒業後は9割の友達がそうするように、僕もそのまま東大の大学院へ進み、修士まで出てどこかの会社へ就職するのだろうと思っていた。宇宙が好きだったから、JAXAか人工衛星メーカーにでも行ければ大成功だと思っていた。
海外経験を積むことにも興味があったが、日本の大学や会社に所属を残したままの交換留学か派遣留学で行くものだと思い込んでいた。
しかし、何か小さな違和感をつねに感じていた。その違和感は小石のようなもので、僕を突き動かすには軽すぎたけれども、かといって口に入れてのみ込んでしまうには固すぎた。
その違和感とは、いったい何だったのだろうか。
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