なぜ僕はMITを目指したか 就職活動から夢追い活動へ

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先輩から受けた恩は後輩へ返す

その先輩がその後も出願方法などを非常に親切に指導してくれたおかげで、僕は夢の半分をかなえ、MITへ入学した。入学した後に大変な苦労を経験することになったのだが、それは本連載の後の回で詳しく書こうと思う。ここでは次の2点だけ言えば足りる。ひとつは、その苦労を乗り越えた経験が、今の僕の自信の礎になっていること。そしてもうひとつは、もし22歳に戻れるとしても、僕は迷いなくもう一度この道を選ぶだろうということだ。つくづく、僕は出会いに恵まれた幸運に感謝した。

そして、MITで生き残っていく自信をどうにか得られ、留学も3年目になった冬に、ひとつの考えが浮かんだ。

もしかしたら日本の大学には、あのときの僕と同じように、のみ込みきれない違和感を抱える物わかりの悪い学生が多くいるのではないか。しかし、僕とは違って出会いに恵まれず、チャンスの存在を知らないがために、結局はそれを無理やりのみ込んで、皆と同じ道を歩いて行く人が少なからずいるのではないか。ならば、あのときに先輩が僕にしてくれたことを今度は僕が後輩たちにするべきではないか。

2007年に東大にてはじめて開催した留学説明会。

そう思い立った僕は、さまざまな方からの理解と協力を得て、2007年の年末の帰国時に東大で「アメリカ大学院留学説明会」を開催した。目的は留学の情報と情熱を伝えることだった。この留学説明会は、単なる個人開催の会であったにもかかわらず、約150人もの参加者を得た。

留学説明会の話を聞く学生は非常に熱心で、先輩を質問攻めにした過去の自分の姿と重なる。

そして会の後に僕は多くの参加者に囲まれ質問攻めに遭った。どうやったらMITに入れるのか。どうやったら奨学資金を取れるのか。どうやったら英語がうまくなるのか。熱心に問い詰める彼らの目の中に、あのとき、食堂で先輩を質問攻めにした自分が持っていたのと同じ情熱が燃えているのを感じた。

この活動が必要とされていることを実感した僕は、活動を組織化し拡大するため、2010年夏に全米の日本人留学生の仲間たちと一緒に「米国大学院学生会」を設立した。

会のメンバーたちのリーダーシップと、僕たちの活動理念に共感してくれた日本の多くの大学・団体の支援、そしてスポンサーになってくれた船井情報科学振興財団のおかげで、活動は急速に大きくなり、2012年末までに全国12大学で33回の留学説明会を開催することができた。それぞれの説明会は平均で100人以上、多い回は400人もの参加者が集まった。

昨年12月に慶応義塾大学で行われた留学説明会の一部始終をYoutubeで公開しているので、ぜひご覧になられたい。ちなみに、この動画で講演している人の一人が、本稿で紹介した、僕に留学のきっかけを与えてくれた先輩だ。

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