夢と憧れと現実と倦怠
前回の記事で書いたように、僕は物心がついた頃から宇宙が好きだった。そして僕はそのまま成長し、大学の専門はもちろん航空宇宙工学を選んだ。ひととおり遊んで遊び飽きた大学2年生の終わりごろから、超小型人工衛星のパイオニアである中須賀真一先生の研究室に出入りするようになり、学生が手作りで人工衛星を作るプロジェクトに没頭した。
非常に忙しい研究室で、泊り込みも日常茶飯事だった。しかし徹夜で作業をしていても、自分が今作っている回路やプログラムが本当に宇宙を飛ぶのだと思うと、興奮で覚醒した。すでに打ち上がっている衛星と交信するときには、宇宙からの電波を今自分の耳で聞いているのだという実感に身震いした。大学の薄汚い研究室にこもりながら、幼い頃に夢見た燦然と輝く光の世界へ、ドアを1枚、1枚開けて近づいているのだという充実感が僕の体にあふれていた。
しかし、大学生活も終盤になり、一緒にテニスやバンドをやっていた友人たちが髪を黒く染め直してOB訪問などを始める頃になると、今まで「夢を抱け、志を持て」と僕にさんざん教え込んできた社会は、掌を返したように現実的な将来設計を迫った。そして東大理系学生にとっての現実とは、9割の友達がそうするように、修士まで出て大手企業に就職することなのだという暗黙の了解があった。
だから僕も東大の大学院入試の勉強をしつつ、学科推薦枠のある企業のリストを何となく眺めながら、このどこかへ行くのかな、と漠然と考えていた。そうしたいからその道を選ぶのではなく、ほかの道を選ぶ理由がさしてないからそう思っていただけなのだけれども、かといってそんな未来に具体的な不満があるわけではなかった。
ただ、僕はおそらく他の人と比べて少し物わかりが悪く、自分を周囲に適合させるのが苦手だった。だから僕の喉には、幼い頃の情熱の燃えかすが小石のような違和感として、のみ込みきれずにつっかえ続けていた。それは「夢を追うこと」がいつの間にか「会社を選ぶこと」に置き換えられることへの違和感だった。「夢を実現すること」がいつの間にか「現実的な夢を持つこと」にすり替えられることへの違和感だった。
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