トヨタが雇った再建屋は日立出身のセールスマン 名古屋グランパスGM・久米一正【上】
プロリーグは久米にとっても初めての経験であり、手探りの部分が多かった。たとえば元ブラジル代表選手を獲得したとき、その高額年俸をどうリスクヘッジするか頭を悩ませた。もし契約期間中にケガをしたら、高額な投資が台無しだ。そこで久米は保険会社と掛け合い、年俸保証の保険をかけることにした。年俸1億5000万円に対し、保険料は年間500万円。痛い出費だが、万が一に備えるのもGMの仕事だ。
川淵チェアマンの一言で年収1300万円を捨てる
力をつけ始めたレイソルは1999年にナビスコカップで優勝し、翌年には年間最多勝ち点を獲得した。久米も日立内で順調に出世し、46歳のときは「参事」(役員クラス)にまで昇格。年収は約1300万円に達した。
だが、その後レイソルの低迷が始まる。責任を取らされる形で、2002年限りでサッカー部から離れることを久米は命じられる。事実上の左遷である。もし異動を受け入れれば、もう二度とサッカーにかかわることはできないだろう。
これに猛反対したのが、川淵チェアマンだった。
「せっかくサッカー界で経験を積み、人脈を得たのだから、親会社に戻るのはもったいない。チームから飛び出して、これまで培った手腕を他の場所で生かしてほしい」
年収1300万円の安定した生活を取るか、毎日が勝負のプロの世界に飛び込むか……。悩む久米の元に、オファーが舞い込んだ。清水エスパルスが「ぜひ強化を手伝ってほしい」と熱心に誘ってくれたのだ。
久米は人生の第3の分岐点となる決断を下した。
(撮影:今祥雄)
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