「べらぼう」の「儒教バトル」の真実 「物語化」で見落とされた「蔦屋に対する刑罰」の妥当性 「政治権力vs.メディア」という皆目見当違いなストーリー

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4 ✎ 5
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
論語と中庸のイメージ
大河ドラマで話題となった「儒教バトル」は史実なのか? 中国・日本思想研究者が解説します(写真:naoki/PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で描かれた蔦屋重三郎の妻・ていと、老中・松平定信のブレーン・柴野栗山の「儒教バトル」は、手に汗握るシーンとして話題を呼んだ。しかし、このバトルは本当にあった史実なのか。また、バトルに用いられた朱子学の解釈は正しいのか。『未完の名宰相 松平定信』著者で中国・日本思想研究者の大場一央氏が、その真実を探る。

「蔦重」の妻が挑んだ「儒教バトル」?

「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第39話では、危機に陥った蔦屋重三郎を救うべく、妻のていが定信のブレーンである柴野栗山に直談判をする。

未完の名宰相 松平定信
『未完の名宰相 松平定信』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら

ここで両者は儒教のテキストを用いた論戦を行っている。古典を引用した議論は、教養を自分の文脈に引きつけて説得力を持たせるし、古典日本語は響きが良い。ゆえになんとなく格好良く、手に汗握る緊張感がある。

そこではていが『論語』を引き合いに出し、朱子学が刑罰で人々を脅すことを好まないにもかかわらず、定信がそれを行っていると訴える。対する栗山もまた『中庸』を引き、蔦屋は恐れ知らずで二度も過ちを犯したと反論する。これにていは、寛容さこそ正しいとして「義を見てせざるは勇なきなり」と言う。かくして栗山は少しく心動いたという筋書きだろうか。

もっともこれは創作に過ぎない。ただ、この筋書きだと徹底して不寛容で視野の狭い松平定信像が際立つため、いささか看過できないものがある。そこで両者の引いている言葉を使えば、本来どのような議論になるのか、少し深掘りしてみたい。

次ページ両者の背景には朱子学が
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事