前回は、落語家の三代目桂米朝について紹介した。今回はその米朝の落語全集から、落語の枕(本編に入る前の導入)の中に出てくる小噺(こばなし)を紹介してみたい。
無駄を省いていくと、どこに到達するのか?
上の引用は一部分で、全体はこうだ。「いたってけちな人が、十人店員さんを使(つこ)うて手広(てびろ)う商売をしてたが、十人も要(い)らんちゅうので、五人暇(ひま)を出して半分に減らしてやってみると間に合う。もう少々減らそうと、三人クビにして二人だけ使(つこ)うてやったら、それでも間に合う。いっそのことなしにしよう。全部暇を出して夫婦差し向かい。二人で走り回ってやったらそれでも間に合う。ほんならこれも要(い)らんいうて、嬶(かか)離縁してしもてね。おのれ一人で走り回ってやったら、それでも間に合う。ほんならわしも要(い)らんらしいちゅうて、どっかへ行(い)てしもたちゅうんですが……。もうこないなったら、わけがわからん」
コスト削減とかリストラとかコスパとか、そういう言葉を聞くたびに、私はこの小噺を思い出す。もちろん笑い話にすぎないが、どこか本質を突いてはいないだろうか。無駄を省くこともたしかに必要だ。しかし、やりすぎれば、本末転倒なことが起きてくる。人を無駄として切り捨てているうちに、究極的には、そもそも自分は必要なのかということになってくる。























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