腐臭がする魚を食べさせ…。大河【べらぼう】女中が「もう無理!」と続々逃亡する曲亭馬琴の偏屈さ

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そして、馬琴の妙な基準をクリアした下女すらも、あまり大切にはしなかったようだ。あるときに『水滸伝』の版元だった鶴屋喜右衛門が、馬琴の病弱な息子・宗伯のお見舞いに来たことがあった。このとき、鶴屋が持参したアジからどうも腐ったような臭いがしたので、馬琴は「食にあたはず」、つまり食べることができない、と記している。 どうも風雨に晒されたことが原因だったらしい。

そのこと自体はもちろん問題ないのだが、そのあとに「下女にたべさせ畢(おわ)る」と続けている。いやいや、腐臭がする魚は、下女にも食べさせちゃいけないでしょうに……。

一事が万事、こんな調子だったから、多くの奉公人たちが「もー無理!」と逃げるように辞めてしまったのだろう。数日で辞めてしまうと、娘婿の清右衛門を口入屋や身元引受人のところに向かわせて、前払い金を返却してもらうように交渉させたというところも、なんとも馬琴らしい。

NHK大河ドラマ「べらぼう」では、津田健次郎がアクの強い滝沢瑣吉(曲亭馬琴)を演じているが、実際の馬琴も一癖も二癖もある人物だった。

温厚な恩人・京伝さえも怒らせた「余計な一言」

馬琴は恩人のことも遠慮なく批判した。14歳で出奔した馬琴は主家を転々としたのち、24歳のときに酒一樽を持って戯作者の山東京伝のもとを訪ねて、弟子入りを志願している。

京伝は「そもそも戯作者には師匠というものがいない」と弟子入りは断りながらも、「作品を見てあげることはできる」と温かく迎えたため、二人は親交を深めていく。不運にも深川にあった自宅が洪水で流されると、馬琴は約半年間、京伝のもとに身を寄せた。

京伝からは「大栄山人」という名をもらい、黄表紙『尽用而二分狂言』での戯作者デビューのサポートまでしてもらった馬琴。そんな恩人に対しても、馬琴は「戯作の才ありて、学問なき人の作」と臆することなく作品批評を展開。読本(江戸時代後期に流行した小説の一種)づくりにおける京伝の姿勢に、苦言を呈したこともあった。

それに対して、京伝の弟・京山は面白くなかったようだが、京伝自身は特別なリアクションはとっていない。粋な遊び人としても知られる京伝のことだから、ひょうひょうと受け流していたのだろう。

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