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ライフ #江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち

腐臭がする魚を食べさせ…。大河【べらぼう】女中が「もう無理!」と続々逃亡する曲亭馬琴の偏屈さ

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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北斎もまた個性的だから、馬琴とは「混ぜれば危険」なコンビだった。それにもかかわらず、二人を引き合わせたのは蔦屋重三郎である。ケンカも含めて二人の化学反応に期待したのかもしれない。

失明しながらも執筆して職業作家の道を切り拓く

人間性に問題ありの馬琴だったが、作品作りには誰よりも真摯に向き合った。生涯にわたって残した作品は270あまりにも上る。それも執筆にあたっては、膨大な歴史書や文献を調べ上げ、地理、風俗、習慣、武具、家紋に至るまで詳細な考証を行って、物語にリアリティをもたせている。

代表作『南総里見八犬伝』は、安房国の戦国大名である里見氏の歴史を題材にしながら、物語はすべて創作。仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の8つの玉を集めていくストーリー展開から、のちにマンガ家の鳥山明は7つの玉を集める漫画『ドラゴンボール』を着想したという。

多作な馬琴は、初めて「潤筆(じゅんぴつ)」という制度を、京伝とともに確立したといわれている。潤筆とは、原稿料のことである。馬琴が、名立たる作者から自分自身まで論評した『近世物之本江戸作者部類』で「京伝と馬琴以外に潤筆を受け取った者はいない」(「京伝 馬琴の外に潤筆を受る作者はなかりしに」)としている。

京伝がまず、これまでの謝礼や金一封というかたちではなく、原稿料を例外的に得るようになり、さらに馬琴は筆一本で生活を立てるようになった。

書いて書いて書きまくった馬琴は目を酷使したからだろう、天保5(1834)年に68歳で右目を失明。執念で左目だけで書き続けた結果、74歳で左目も失明してしまう。

48歳から書き始めた『南総里見八犬伝』が完成したのは、両目が失明してから2年後、76歳のときのことである。

実に28年もの歳月をかけた超大作を残した曲亭馬琴。難のある性格から人間関係ではトラブルを起こしがちだっただけに、原稿執筆に打ち込む作家業は天職だったのだろう。『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九とともに、曲亭馬琴は日本最初の職業作家として、歴史に名を残すことになった。

【参考文献】
鈴木晋一著『馬琴の食卓 日本たべもの史譚』 (平凡社新書)
高田衛著『滝沢馬琴 百年以後の知音を俟つ』(ミネルヴァ書房)
鈴木俊幸著『蔦屋重三郎』(平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫著『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)山村竜也監修・文「蔦重の復活と晩年 その後の耕書堂」(『歴史人』ABCアーク 2025年2月号)

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