仕事ができるわけでもないのに人間関係のコントロールだけは巧みな「サイコパス社員」が出世してしまうという、成果主義の残念な末路

✎ 1〜 ✎ 4 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

昭和から平成にかけての日本社会は、ヒエラルキーが強く、LINEやメッセンジャーのように、日常的に誰かとつながって連絡を取り合うという手段もありませんでした。

そのような社会では、上からの覚えさえめでたければ、うまくいってしまうものです。そう思うと、今の時代は風通しが良くなりました。

『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』(アダム・グラント著、楠木建監訳、三笠書房、2014年)という本がありました。自分のことしか考えないテイカー、人に善意を与えるギバーについて書かれたものです。

今はテイカーの悪さが目立ち、可視化されやすい時代でしょう。LINEなどですぐに「あの人ちょっとやばいよね」という会話ができます。

かつてはテイカーが得をする社会でしたが、ネット時代ではテイカーは損をして、ギバーの善行が共有されやすくなるわけです。

サイコパスは、昔よりも今の方が生きづらくなっているかもしれません。

平成に注目された「サイコパス的経営」

平成の不況時代に、コストカットばかりやる経営者が現れました。とりあえず人件費や原材料費を削れば、見た目上の黒字が出せるというものです。
長期的視野で考えれば、それによって良い人材を失い、製品の質を落とすことは当たり前で、今の時代なら、ネット上に批判する人が大量に現れる可能性があります。

しかし、当時はそのような分析は広まらず、「V字回復させたすごい経営者だ」ともてはやされました。

そして、それに感化された質の悪い経営者が大量に出たのが平成の時代です。

労働力を徹底的に擦り減らし、安価にこき使うブラック企業は、まさにサイコパスのやり方だったのではないでしょうか。

次ページ短期的利益を求めることの問題点
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事