*本記事は後編です(前編:『「三菱がディズニーランドを富士山麓に誘致」も…構想20年超"浦安にディズニーランドを"実現したオリエンタルランドの執念』)。
当初は「コケる」という見方もあったが
1983年に“夢と魔法の王国”というキャッチフレーズで開園した東京ディズニーランド。当時の日本は昭和後期のバブル経済前夜という時期にあった。
結果的に大成功を収めた事業とされているが、その建設や開業準備には巨額な費用がかかり、当初はアメリカ式の遊園地が日本で成功するはずがない、客が殺到するのも最初のうちだけだろうという見方もあった。
しかし開業4年目には決算は黒字に転じ、6年目には第2パーク(後の東京ディズニーシー)の拡張を発表。開園8年後の1991年5月には、来園者が1億人を突破するという、アメリカのディズニーランド以上の集客力を発揮するまでになっていった。


















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