昭和の写真が語る「大阪」変わったものと変わらないもの《水都・大阪の変貌と不変、1979〜1980年へタイムスリップ》、「大大阪時代」の名残も

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大阪道頓堀
道頓堀といえばユニークで目立つ看板が名物。かつては、えびの看板も人目を引いていた(1980年7月、吉野純治撮影)
東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真をピックアップしながら、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく連載「東京アナログ時代」。第16回となる今回は、番外編として関東を飛び出し、大阪・関西万博で盛り上がる大阪の懐かしい写真を紹介する。

昭和時代の大阪にタイムスリップ

東京から、たまに大阪を訪ねると、毎度、街の大きな変化に驚く。

今から10年近く前、久しぶりに大阪駅前に降りたつと、そこには以前知っていた場所とは異なる風景が広がっていた。一帯は「グランフロント大阪」という再開発でできたまったく新しい街並みに変貌していたのだ。【2025年9月2日10時50分追記】一部、上記のように修正しました。

また、天王寺駅前に行ってみると、巨大な超高層ビルが建っていて驚愕。それは当時日本一の高さの「あべのハルカス」だということがわかった。

最近の大阪でも、大阪駅前には、グランフロントに続く「うめきたエリア」開発の第2期「グラングリーン大阪」がオープンし、中之島に新たな美術館ができるなど、大阪不案内な東京者が訪ねていけば、街のさらなる変化にたまげてしまうはずだ。

グランフロント大阪
グラングリーン大阪(写真:おくやまひろし / PIXTA)

大阪は、東京とはまた違う都市の歴史に沿って築かれてきた街だ。昭和戦後の時代、東京は戦後復興、東京オリンピックに向けての都市改造という道を歩んできたが、大阪は1970年万博が高度経済成長期における都市開発の大きな起爆剤となった。

【写真】昭和時代の大阪を振り返ると、今はなき風景と今も変わらぬ風景が入り混じる(30枚)
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