昭和の写真が語る「大阪」変わったものと変わらないもの《水都・大阪の変貌と不変、1979〜1980年へタイムスリップ》、「大大阪時代」の名残も

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大阪難波
難波の風景とロケット広場(右)(1979年10月9日、東洋経済写真部撮影)

難波の南海駅ビルには昭和初期から髙島屋大阪店が入居していたが、この髙島屋と難波駅の間に造られたショッピングセンターが、なんばCITY。

地下1階の広場には、70年代の宇宙ブームにより、1977年に打ち上げられた「N-1ロケット」の実物大模型が設置され、この地のシンボル兼待ち合わせ場所としても親しまれてきたが、2007年に撤去。中高年以上の大阪人には懐かしい存在なのかもしれない。

一方、キタとミナミを繋ぐ、大阪のメインストリートが御堂筋だ。通り沿いは、大阪の代表的なオフィス街であり、心斎橋付近は大丸やパルコなどの大型店やラグジュアリーブランドのショップが建ち並ぶ高級ショッピング街になっている。

大阪御堂筋
御堂筋のオフィス街(1979年10月9日、東洋経済写真部撮影)
大阪御堂筋
デパートが建ち並ぶ御堂筋(1979年10月9日、東洋経済写真部撮影)
大阪御堂筋
御堂筋(1979年10月9日、東洋経済写真部撮影)

この御堂筋の道幅は約40メートル前後で6車線ほどもある大通りなのだが、全車線が一方通行の南行きとなっていることに、大阪市民以外は驚くのではないだろうか。

東京から仕事で初めて大阪に行った時、心斎橋で、北方向である大阪駅方面に行こうとタクシーに乗ろうとしたら、すべての車が南に向かって走っていることに気づき、パニックに陥ったものだ。

この御堂筋だけでなく、大阪中心部の主要道路はほとんどが一方通行で、これは1970年の万博当時に交通渋滞を解消するために定められたもの。すでに大阪人には常識になっていることだろうが、いまだに東京から行くと戸惑う交通ルールだ。

「大大阪時代」の名残を感じる地下鉄

この御堂筋の下を通る、大阪中心部の大動脈とも言えるのが大阪市営地下鉄(現・大阪メトロ)御堂筋線。戦前に大大阪(だいおおさか)と呼ばれていた時代、1933(昭和8)年に日本初の公営地下鉄として開通した。

その大大阪時代の名残を感じられるのが心斎橋駅のアーチ型の天井に囲まれたホーム。もう一つこの駅を象徴するのは天井から下がる蛍光灯シャンデリアだが、1953年に最初に設置され、近年もリニューアルしLEDに変更されながら、そのデザインは受け継がれている。

大阪市営地下鉄
大阪市営地下鉄(1980年7月、吉野純治撮影)
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