昭和の写真が語る「大阪」変わったものと変わらないもの《水都・大阪の変貌と不変、1979〜1980年へタイムスリップ》、「大大阪時代」の名残も

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大阪中之島
中之島(1979年10月9日、東洋経済写真部撮影)
大阪中之島
中之島(1979年10月9日、東洋経済写真部撮影)

現在の中之島では、朝日新聞大阪本社ビルは高速道路部分を除ける形で建て替えられ、中之島フェスティバルタワー、中之島セントラルタワーなどの超高層ビルの再開発が進み、街の景観は1980年代当時とは大きく変容しているほか、国立国際美術館、大阪中之島美術館なども開設されビジネスと同様、文化拠点としての存在感を高めている。

そして大阪のもう一つの象徴といえば大阪城。豊臣秀吉により築城され、江戸時代初期に徳川幕府により再建された大阪城は、江戸中期に天守閣が落雷により焼失。以来再建されることがないまま、旧幕時代を終えた。

現在の天守閣は、それからなんと300年近く経った1931(昭和6)年に、大阪市民の寄付により、豊臣時代の姿を再現した姿で、鉄筋コンクリート造で建てられたものだ。

大阪城
大阪城(1980年7月、吉野純治撮影)

昭和時代には、名古屋城、会津若松の鶴ヶ城など、鉄筋コンクリート造での天守閣の再現が行われたが、大阪城は、その第一号にあたるもの。再現されたものとはいえ、現在築100年近い建造物であり、1997(平成9)年には登録有形文化財にもなっている。

「水の都」大阪

中之島や道頓堀の景観を眺めてもわかるが、大阪は古くから水路に囲まれた“水都”であり、地名にも中之島、堂島、心斎橋、淀屋橋、船場など、水辺に関連するものが多い。

大阪淀屋橋
淀屋橋(1980年7月、吉野純治撮影)

かつては江戸・東京も水辺都市だったはずだが、東京ではそのほとんどが埋め立てられたり、高速道路に覆われたりして、その歴史が忘れられている。

しかし大阪には、東京よりも中心市街地に水辺風景が残り、街を歩くと、東京との違いを感じる新鮮なカルチャーショックを得ることもできる。

そして今、1980年代の大阪を見ると、当時からこの街に残っているもの、変わらないものこそが、都市・大阪の本質なのだと改めて感じる。

【写真】昭和時代の大阪を振り返ると、今はなき風景と今も変わらぬ風景が入り混じる(30枚)
連載
鈴木 伸子 文筆家

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すずき のぶこ / Nobuko Suzuki

1964年生まれ。東京女子大学卒業後、都市出版『東京人』編集室に勤務。1997年より副編集長。2010年退社。現在は都市、建築、鉄道、町歩き、食べ歩きをテーマに執筆・編集活動を行う。著書に『中央線をゆく、大人の町歩き: 鉄道、地形、歴史、食』『地下鉄で「昭和」の街をゆく 大人の東京散歩』(ともに河出書房新社)『シブいビル 高度成長期生まれ・東京のビルガイド』(リトル・モア)などがある。

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