関西人の筆者が大阪万博に抱く「正直な気持ち」 1970年の万博に小学生のときに行ったが…

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(写真:AFP=時事)

間もなく開幕するの大阪・関西万博の引用としては、誠に古臭くて恐縮だが、江戸時代前期の大阪(当時は大坂)の俳人、小西来山の句に、

「お奉行の名さえ覚えずとし(年)暮れぬ」

というのがある。

大坂は江戸幕府直轄領(天領)で、大名はおらず西町、東町奉行が統治していたが、大坂の町人は「誰がお奉行なんか知りまへんが、とりあえず暮らしてまっさ」というさばさばした感覚だったというのだ。来山はお奉行のお叱りを受けたというが、とかく「お上の顔色ばかりうかがう」江戸、東京気質とは対照的な気風があったのだ。

間もなく始まる「大阪、関西万博」が今一つ盛り上がらないのも、そうした「お上嫌い」な気質が根底にあるのかもしれない。

しかも大阪府や大阪市=お上は、いろいろな事業を行ってきたが「不良物件」が非常に多い印象だ。一人の関西人の「ぼやき」としてお聞きいただきたい。

大阪府や大阪市による「不良物件」

真っ先に思い浮かぶのが1994年に開港した「関西空港」絡みの案件。関西国際空港自身も、汚職が相次ぐなど運営体制が二転三転したが、それでも空港は今も存続し、アジアのハブ空港となっている。問題は、この空港絡みでできた施設の数々である。

空港の対岸には「りんくうタウン」という副都心クラスの街の建設が発表されたが、そのランドマークとして1990年代初頭「りんくうゲートタワービル」の建設が決まった。

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