フォドールはコスモポリタンで、高学歴で、都市生活者だった。著者はこれらの条件が彼のようなタイプの知識人を「庶民や労働者階級、特に田舎や小さな町に暮らす人々に対してかなり見下した考え」(156頁)に導くのではないかと推理している。
つまり、ノスタルジアに耐性のある個体とない個体があったとしても(それは出生前心理によってというよりは)生育後の環境や階層と相関するということである。
そうだろうと私も思う。そして、「田舎や小さな町に暮らす人々」の方が自分の起源について執着が強いというのもその通りだろうと思う。
「小さな町」という文字列を見たときに、私はクラーク・ケント=スーパーマンの出身地のことを思い出した。彼は惑星クリプトンから打ち出された宇宙船で「小さな町(Small ville)」の郊外のケント夫妻の農場に着陸したのであった。
スーパーマンはもう存在しない彼の故郷の星のことばかり考えており、その星の破片に触れるだけでそのスーパーパワーを失ってしまう。
そうか。わかった。スーパーマンがアメリカ人にとっての国民的ヒーローであり続けているのは、彼が「小さな町」の出身者の田舎者であるばかりか、もう存在しない故郷に病的なノスタルジアを感じている「病人」だからなのか。なるほど、そうだったのか。
こんなところで私が一人で得心していても仕方がないけれど、この本はそういう本なのだ。読んでいるうちにふと「これに似た話を知っている」という気になるのである。だから読者のみなさんもそういう読み方をされたらよいと思う。
ノスタルジアがマーケティングに利用される時
寄り道をしていると、中身を紹介し切れないうちに紙数が尽きそうなので後は少し駆け足でご紹介する。
このあと1970年代以降にノスタルジアがどのように消費者の消費欲望を喚起したのかについてマーケティング的にたいへん興味深いエピソードが続く。私が読んでびっくりしたのはイギリスでナチスグッズが流行したという話。
それから食べ物。「今はすたれた、健康に良いとされる昔の食べ物」(165頁)への執着。この「『黄金時代』の食生活は、現代の『添加物まみれの加工食品』と頻繁に比較された」(165頁)。
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