本書はノスタルジアという感情についての歴史研究である。
感情は「はい、これです」と言って取り出してお見せすることができるような客観的実在ではないので、この研究はノスタルジアと呼ばれてきた感情(あるいはその名称がまだない時代に見られた似たような心的過程)とそれをめぐる言説を網羅的に羅列するだけである。
「だけである」と言っては気の毒だけれど、感情の歴史を書くにはこれ以外のやり方があるとも思えないから、これでよいのだと思う。
著者は「要するにノスタルジアって何か?」という読者の性急な問いには「いろいろな様態があります」としか答えてくれない。後は自分で考えるしかない。
でも、考えるためのヒントはまことに潤沢である。さまざまな時代のさまざまなノスタルジア事例を著者は拾える限り拾っている。この誠実さには私は深い敬意を払う。何より拾ってくる逸話がどれも面白い。
かつてノスタルジアは「病気」だった
ノスタルジアは100年ほど前までは感情ではなく病気だった。
病名を名づけたのは1688年、スイス人医師ヨハネス・ホーファー。「帰郷」を意味するギリシャ語nostosと「心の痛み」を意味するalgosを合わせて造語した。
スイス人の医師が命名者であったのは、当時スイスは傭兵をヨーロッパ各地に送り出していたが、この兵士たちがしばしば故郷を懐かしむあまり無気力、鬱、睡眠障害などを発症したからである。時には死に至る場合もあった。
その後、アフリカから新大陸に送られた奴隷たちが罹患し、植民地主義の尖兵として世界に散らばったヨーロッパ人たちが罹患し、乳児のときから乳母のもとで育てられた子どもたちが罹患し、機関車や自動車や飛行機で遠距離旅行が可能になった旅する人たちが罹患した。
病気として扱われたのはその頃までで、その後は映画や音楽やコマーシャルやアミューズメントパークの素材として巨大な市場を生み出し、最後は毒性の強い政治文化の土壌になったことはご案内の通りである。
本書はノスタルジアが病気として治療の対象だった時代から始まって、消費行動や政治的判断をコントロールする感情になるまでの歴史的変遷のあとをたどっている。
その中で著者アーノルド=フォースターが丹念に描いている人がいる。ナンドール・フォドールという「作家、ジャーナリスト、幽霊ハンター、精神分析家」である。
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